藻類デスモデスムス属

カプチーノはお熱いうちにの藻類デスモデスムス属のネタバレレビュー・内容・結末

カプチーノはお熱いうちに(2014年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

こういう作品は「こわい」よ。
たいしたことないなって、見ながら思っていたくせに、見終えて、じわじわと評価が今もなお自分の中であがり続けている。よくあるようで、こういうのをとるのが一番難しいんじゃないかな。見せないことで、逆に見えてくるものがあるんだ。それは、13年の欠落。

エレナは自分の店をもつという夢の道すがら、石ころに躓くようにアントニオと出会う。第一印象は、最悪。しかし不思議と惹かれ、お互いに恋に落ちたのが決定的になった直後、カフェは開店13周年で、アントニオとは結婚しており、病魔がエレナを蝕んでいる。飛行ではなく、跳躍なのか。意表を突かれたものの、その不自然は無視した。お話自体は、なんてことはない。「人生の乱気流」は映画になる、なり過ぎるから。当事者にとっては人生の節目でも、物語の世界としては古びれている。病気との闘いを通して、涙を誘う。その過程で、人と人との絆を描く。では、ないんだ。

原題「シーベルトをお締めください」には含みがある。軽い命令口調、少なからず危険を匂わせる、こわい、まだ大丈夫、けど気を引き締めて。 この映画、感動させようとしているわけじゃない。準備させようとしている。突入する前に。(その点では「カプチーノはお熱いうちに」の邦訳もひとつのアプローチ。)

闘病生活の現在を起点に語りかけているのは、13年後の13年前の僕らにだ。ここにきてじわじわと効いてくるのが、抜け落ちた年月。乱気流のなか、飛行機は激しく揺れ、もしかすると墜落するかもしれない。そのとき思い出すことはなに?、それを思い出して。最良の時間、さりげなかった幸せ。呼び起こせる記憶に対して、あっという間に過ぎ去っていくそれまでの人生なんて、総量を考えると、抜け落ちたも同然。でも今の関係性のなかに、隣に座っている誰かと重ねた手のなかに、確かにそのすべてを感じることができる。

エレナとアントニオ。彼女たちの13年間を、誰も知らない。いや誰にも知ることはできないんだ。その二人のことを、その二人以外には。たとえ13年かけて見せたとしても、本当に知ることはできない。ましてやたった30分ほどの、恣意的な選択を免れないダイジェストを見せれば、無闇な感動や玄人の食傷や偏った評価を産むだけだ。些細な積み重ねである二人だけの大切な時間を、観客という他人に口を挟ませないで、そっと二人だけのままに置いておいた。これは監督から劇中の二人への、いや、あらゆる二人への粋な計らいってもんだろう。そして誠実さでもある。ああ、なんて「強い(こわい)」作品だ。見せていないのに、だからこそ。

それでもなお、浮かび上がってくる瞬間(とき)があって、それはむしろ、削ったからこそ、切なく、すばらしく映える。なんの心配もなく、友と腹を抱えて笑いあった、恋人と肌を合わせた、その欠片が、乱気流の切れ目にみえる、澄みきった青空と白く輝く太陽になることを、完うすべき難航の中途でも、自在に着陸できる岸になることを、心の片隅に置いておきなさい。胸がきゅっとなった。分厚い雷雲は来たるべくして来るものだから。心配はいらない。