YasujiOshiba

カプチーノはお熱いうちにのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

カプチーノはお熱いうちに(2014年製作の映画)
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備忘のために:

- ようやくキャッチアップ。オズペテクには裏切られることがない。というよりは、この作品ほど笑いながら泣き、泣きながら笑える作品があっただろうか。前作の『Mine vaganti (危ないやつら)』(邦題:明日のパスタはアルデンテ)よりも、『Magnifica presenza』(偉人たちの住む館)よりも、ぐっとレベルが上がっていると思う。

- とりあえず本作の原題は Allacciate le cinture 。飛行機でアナウンスされるフレーズ「ベルトをお締めください」ということらしいが、離陸や着陸ではなく、これから乱気流に入る警告ということ。

- すごく期待していたのだけど、つい伝え聞いてしまった「物語のさわり」(最も大切な部分)に、ぼくは関心をなくしてしまったんだよね。それでしばらくほっておいたのだけど、なんのことはない。見ておけばよかったわ。すごくよいじゃない。

- それはよくある「さわり」なんだけど、オズペテクが凡庸に扱うはずがなかったんだよな。物語のポイントはそこにではなく、全く別のところあった。そのポイントは、伝え聞いて幻滅したあの「さわり」よりも、ずっとずっと凡庸なものなんだけど、そいつを非凡なまでに見事にスクリーンに展開してくれるんだから、いやはや、たまりません。

- ポイントは、映像ももちろんなんだけど、シナリオの巧みさにあるのだと思う。映画が運動イメージを捉えるものから、時間イメージを捉えるものへと飛躍したと語っていたの、たしかフランスの哲学者G.D.だったと思うけど、ここにあるのがまさにその時間イメージ。それも、ほとんどSFといっても良いような展開をさせてくれるんだよね。

- オズペテクは、死と再生を円環的な季節の循環に例えた『Mine vaganti 』や、生者と死者が交差し交響する現前(presenza)を捉えようとした『Magnifica presenza』は、どちらもはっきりと、物理的に割り切れるもののように見せかけながらも、生きられることで次第に歪んでゆき輝きはじめる時間と空間を感じさせてくれる作品だったけど、本作においては、ひとつの頂点に達したのではないだろうか。

- フェルザンが、南いたりの黄色く輝く太陽のもとで、かつては遠くギリシャの向こう側からの人々が到来してきた地のゲニウス・ロキに触れたにちがいない。なにしろ、ローマを中心に作品を撮って来た彼が、まるで故郷のトルコに帰ったと感じたと言うのだから、よほどのことなのだ。そして、そのよほどのことが、この映画を、並ならぬものにしてくれているのだと思う。

- ともかく、一言だけネタバレのようなことを記すとすれば、この映画のラストシーンは、見事なラストシーンでありながら、ラストシーンであることを拒絶する。あのフェリーニが、「Fine (終わり)」の文字を決して欠かせなかったように、パゾリーニがその文字の向こう側に映画の雄叫びを轟かせようとしたように、オズペテクはそこに永遠を顕現させる。

その眩しさ!

それこそは映画を見る幸福というやつにちがいない。
YasujiOshiba

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