正題「サクラ花~桜花最期の特攻~」。桜花(おうか)とは機首部に大型爆弾を積んで敵艦に体当たりする有人飛行特攻兵器。人間魚雷・回天に続き太平洋戦争末期に使用された。監督・脚本は「オールナイトロング」(1992)の松村克弥。戦後七十年を記念した茨城県の町おこし映画。
【あらすじ】
終戦直前の1945年初夏。茨木県神之池基地(現在の鹿嶋市)から人間爆弾・桜花を積んだ中型母機が激戦地・沖縄へ向け飛び立った。乗員は機長(緒形直人)磯谷兵曹(奥野瑛太)桜花で特攻する少年兵など8名。しかし敵機グラマンから銃撃を繰り返され一人ひとり絶命していく。。。
残酷描写が目立つ個性的な反戦映画だった。松村監督はかつて和製スプラッターの旗手として発売禁止作品まで撮っている人物。本作では実物大の中型母機(一式陸攻)を製作し殆ど全編が機内で進行、特攻に向かう若者たちの心情描写と死が繰り返される密室スプラッター形式で戦争の悲惨さを描いている。監督インタビューによれば戦争の恐怖を観客に自分事として感じてほしかったとのこと。その試みは成功していたと思う。
搭乗員二人が映画好き設定なことが共感度を高めた。先輩の富田(橋本一郎)が「狭いながらも楽しい我が家~」と「わたしの青空」を口ずさむ。後輩の尾崎(大和田健介)が「エノケンですね?」と声をかけると「最初は二村定一だ」と返して回想シーン。「マダムと女房」(1931五所平之助監督)を子供の頃に父親と、二回目は今の妻と観に行った思い出。スクリーンには「わたしの青空」を歌う田中絹代が映し出される(同作は日本初のトーキー)。
そして終盤、銃撃を受け瀕死の先輩が尾崎に語る。「お前が見せてくれた恋人の写真(磯山さやか)、あれ新人女優のプロマイドだろ。『ハワイ・マレー沖海戦』(1942)に出てた・・・俺も手伝いで出演したんだ」。
楽しかった映画の思い出には「私の青空」が、対して悲惨な死のシーンには第二国歌とも呼ばれた「海行かば」がその都度かかる。個人的に当時録音の「海行かば」を聴くと世紀末的な気分に陥るトラウマがある(本作での「海行かば」は「君が代」と同義と思われる)。本作の兵士たちの姿と日本国民からヘイトを受け泣き詫びるオリンピック代表選手たちには通ずるものを感じた。
「海行かば」の曲と共に送り出される特攻兵士たち。桜花のことを米軍は「バカボン(Baka-bomb=馬鹿爆弾)」と呼んで恐怖した。クライマックス、母のお守りを握りしめた少年特攻兵が母機の下部に連結された桜花に乗り込み切り離される。声変わり途中の金切り声で叫びながら敵艦に突っ込んでいく少年特攻兵。その奇声が耳に焼き付いた。
桜花は合計10回出撃しパイロット55名が特攻で戦死。その母機の搭乗員365名が撃墜され戦死した。
※桜花を描いた劇映画は本作と「花の特攻隊 あゝ戦友よ」(1970)の二本のみ。