えんさん

奇蹟がくれた数式のえんさんのレビュー・感想・評価

奇蹟がくれた数式(2015年製作の映画)
2.0
1914年、インド。事務員として働く傍ら、数学者として独自に研究を続けていた青年ラマルジャン。彼は自らの研究を手紙に記し、イギリスの名門ケンブリッジ大学の数学者G.H.ハーディにコンタクトをとる。手紙の端々から類まれない才能を感じたハーディは、早速インドに住むラマヌジャンを大学に招聘する。二人は苦心して世界を変えるような数式を導き出すが、他の大学教授陣は、身分が低く、学歴もないラマルジャン拒絶するのだった。。ロバート・カニーゲルによる評伝『無限の天才 夭折の数学者・ラマヌジャン』を、新鋭マシュー・ブラウン監督が映画化した作品。

ラマルジャンというと、インドが生み出した若き数学者であり、その才能の評価を得る前に若くして亡くなったということはおぼろげながらも歴史として覚えていました。実際に、ラマルジャンがどのような人生を歩み、どのような数式を生み出していったのか知りたくて鑑賞した次第です。学生時代はずっと理工系だった自分としては、数学と言われると、物理や電気工学の問題を解く手段でしかなく、純粋数学と呼ばれる、数と定理で決められたルールの中で真実を求める世界は(数学科でいた友人を見る限り)本当に縁のない世界だなと思ったりします。よく高校のときに理系か、文系かで進路が分かれたりすると思いますが、数学というのは理系と思われがちなんですが、文系でも典型なのは経済などの分野に進めば数学とは切っても離れないし、歴史・文学の分野でも様々な遺物や言語の解析に数論を使ったりもする。単純に、数学を道具としてしか使わない理系(理工系)の数学より、むしろそっちのほうが文字面の数学なので難しいんじゃないかと思ったりするくらいです。

なぜ、こういうことを書くかというと、実は宗教の世界でも数学はよく使われるのです。数学を育んだ古代ギリシアでは、様々な記号という表記の中で数学の神秘を取っていたし、インドを起源とする仏教の中でも、曼荼羅図などで無限を表現していたり、何もない無としての0を表現していたりもする。もともとインド発祥とも言われる数論の歴史は、こうした宗教的な意味合いがあり、本作でも描かれるようにラマルジャンが育んだ数学の世界も、彼の宗教的な背景があったりもする。現代でも、GoogleなどのIT企業では多くのインド出身数学者が活躍していたりしますが、数学を追い求めると、それだけで世界を表現できるような魅力もあるのです。

本作には、ラマルジャンの伝記としての意味合いだけでなく、そうした数学の世界観や、ラマルジャン自身がどういう研究をしていたかを知りたかったのですが、、、伝記劇としては一定水準のものが見えるものの、本作からでは何がラマルジャンを偉大にしたのか、彼の生み出したものが全く分からないというのが残念なところ。もちろん、数学素人の凡人が理解するには難しい高度なことなのかもしれないですが、例えば、「ビューティフル・マインド」だったり、「イミテーション・ゲーム」だったり、同じような数学者の伝記モノの中でも、彼らの研究成果は全く分からずとも、数学の楽しさの片鱗を感じる工夫が各所にあったと思います。ところが本作では、一瞬ラマルジャンとハーディとの共同研究シーンで見えてくるくらい。ほとんどが数学そのものより、彼ら二人の関係であったり、ラマルジャンの悲運な人生に焦点が当たりすぎて、彼自身の苦労がイマイチじっとりと感じることができないのです。

料理を映さないで料理人の苦労が分からないように、ラマルジャンの苦労は見えるものの、彼の生み出した偉大なモノをもっと感じさせないと、単なる悲しいインド青年の物語に終わっているように思えてならないのですが。。