マツシタヒロユキ

ラ・ラ・ランドのマツシタヒロユキのレビュー・感想・評価

ラ・ラ・ランド(2016年製作の映画)
4.5

冒頭からの圧倒的過ぎるミュージカル開始宣言。
いくつもの原色をベースにした鮮やかな衣装たち。
ジャズをメインとしたメランコリックかつ多幸感溢れる音楽。
印象的にポスターにも使われている夕焼けの限られた時間にCG無しで実際に撮った奇跡のダンスシーン。
往年の名作から引用されたオマージュの数々。
とんでもない長回しやユーモアも含んだ、センスある鮮やかなカメラワーク。

いやもうとにかく至福です。最高です。

その全てにおいて、
ハリウッド、そしてミュージカル映画黄金時代への尋常じゃない愛が通底し、
音響・台詞・衣装など、あらゆるデザインに行き渡るセンスも相当にハイレベルなもので、
デイミアン・チャゼルという男の執念(「セッション」の鬼先生さながらの)に感服させられます。


主演のライアン・ゴズリング(セバスチャン)とエマ・ストーン(ミア)。
決して歌もダンスも上手いとは言えないものの、
その立ち居振る舞いやファッションの着こなし、
台詞や、何より表情で魅せる演技が素晴らしい。


心象や環境変化を色によって表すのもとても上手く、
衣装はもちろん、部屋の壁や照明、空や建物、イルミネーションなども見事に使いこなす。
セバスチャンの部屋での、
静かな赤いライトに染まる寝室でのふたりの幸せな時間。
カーテンから漏れるエメラルドグリーンの中で交わされる会話、歌。
さりげなく、でも印象的でとても美しく、どこか不穏であったり。


そしてやはり音楽。
相変わらずの監督のジャズ愛により、
ほんとに最高の至福な体験をもたらしてくれる名曲たちに溢れています。

そして「ジャズ」を通じ、
「変わるべきでないこと/前に進むべく変わるべきこと」、
そして「前に進むために払わざるを得ない“代償”」を問いかけていく。

黒人が生み出した「ジャズ」。
白人であるセバスチャンが死にゆくジャズを頑なに守ろうとし、
黒人であるキース(ジョン・レジェンド)がジャズの進化を見ている。
この対比がとても興味深く素晴らしかったし、
その問いかけがこの先のセバスチャンとミアの歩み行く道に繋がっていく。

個人的に前作「セッション」はどうしても許せない“あるポイント”があり否定的だったのですが、
今作では音楽に対しとても誠実かつ冷静な視点を持っていたのではないでしょうか。


さて。
僕はミュージカル映画には全く疎くて、
これまでどちらかというと好んで観てはいませんで。

まずとにかく、
ミュージカル映画というものを、完全に誤解していたことをこの作品によって思い知らされました。
まぁ単純に、ヘラヘラお花畑脳な「人生、最高!」なものだと思ってました。ごめんなさい。


ミュージカル映画のその本当の要は、
「歌い踊るその至福の瞬間は、あくまで“虚構”である」ということ。

つまり、
現実から逃れて見るもの。
宙に浮かぶような気持ちを表す世界観。
もう取り戻すことのできない過去を補完しようとする脳の妄想。
要するに、「夢(見る方の)」みたいなものなのですね。


ネタバレ厳禁ですから多くは言いませんが、
映画は終盤に向かい思わぬ展開を見せます。

監督がデイミアン・チャゼルであることをそのときまですっかり忘れてヘラヘラしてた。
はっきり言って僕は強〜烈に痛い目に遭いました。

セバスチャンが苦しげに爪弾くピアノから始まる最後のミュージカルシーン(あのときのライアン・ゴズリングの表情...!垂れる前髪...!)。
身を裂かれるように痛く、ほろ苦く、だけど人が生きる中でしがみつくように見る「夢」。
(完全に「ブルー・バレンタイン リターンズ」だと思って死にそうな思いで見てました)


人生は甘く、楽しく、幸福にも溢れ、
しかしあまりにも残酷で、苦く、辛く、痛い。

それでもね。
だから、そのために映画があるんだ。
「夢」を映像で、言葉で、音楽で、
見せ、体験させてくれるんだ。


儚い夢を見ながら、
全力で泣きながら、
それでもラストのふたりが見せる仄かな笑顔のような顔で、前を向いて生きていこう。