一番感じたことは、恥ずかしいのでここには書かないけれど、デイミアン・チャゼルの想いと重なって始終、ずっと胸が苦しい映画だった。
人生の決断や、特に、恋愛においての「他者」の存在と、時間や出来事の変化で変化していくその意味。
それらの人間同士、本作では男と女ということと、ましてや「表現者」というある種、特殊な「個」の交わり。
それが冒頭と終盤の「渋滞」シーンでも十分に描かれている。
「夢」というものに人間は取り憑かれ、自らを何者かと思い込む。ただそれは自分の尊厳に結びついているので、他者や社会の常識とか通念では割り切れないものを追い求めてしまう。
それは、良し悪しではなく。
とても苦いし、切ない。
しかし、「夢」を追い求める人間たちはその夢を叶えるための場所に集まる。
そして「渋滞」しているわけだ。
ラストその渋滞から離脱するというだけでもこの映画は秀逸。
シネマスコープサイズの画面も、儚く切り取られるフラッシュバックも。陽気な音楽たちも。
映画という時間の中の物語を現代にアップデートしていくという意味でも力強い。
そして、何よりライアン・ゴズリングとエマ・ストーンのある意味で、一見、馬鹿みたいに2人のイチャつきだって。誰しもに腑に落ちる普遍的な恋愛と。
過ち、地雷、NGワードが散りばめられてたまらない。
映画が映画として、力強く人物の複雑な感情を描くとき。たまらなく切なくて勇気を貰える。
忘れられない作品になった。