晴れない空の降らない雨

インクレディブル・ファミリーの晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

3.8
 十分面白い部類だけど、1作目超えとはならず。まさかあそこから話を再開するとは思っていなかったので、最初は「こいつは一本!」と驚かされたし、その後のジェンダーロール反転も「なるほど」と悪くない展開に思えたし、ボブの図体と育児のギャップが見ていて面白くはあるのだが。
 全くの偶然だけど、公開中の細田守の『未来のミライ』と同じように、仕事で強い自己実現欲求を満たしている父親にとっての育児が、母親との意識の落差とともに取り上げられていて興味深い。しかもこちらは、外で活躍するヘレンと対照させるかたちで、ボブの苦労ががっつり描写されている。
 ただ、中盤でそっちに行きすぎてアクション不足になる。そして主役交代と父親育児をのぞくと、基本的な展開が前作とあまり変わらないのが残念だった。ヴィランについては、「もはやこれがお約束なんだ」と思うことにしたけど。それにしても、新居のギミックを描写しておきながら襲撃シーンで活用されなかったり、逆転劇に何のひねりもアイディアもなかったりと、流石にこっちが首をひねった。
 それと、前作のCGエフェクトや人間キャラの質感は当時だからすごかったけど、今ではCGで何を出来ても別に驚かない。そういう意味でも、前作ほどのインパクトがなかった。
 そして、やっぱ洗脳された敵というのが絵面的に地味になりがちだと思う。というのも、もとが善人でも悪人でも関係なくロボットみたいな存在になるので、闘争の「人間的意味」がなくなってしまう。闘いが面白いのは、両者にそれなりの背景や動機があって共存しえないという「人間的な状況」があるからだと思うわけだ。たとえアクションそれ自体が視覚的スペクタルに満ちたものであっても。
 
■内面軽視とエリート主義
 穿った見方をすると、ブラッド・バード監督のマチズモ的な「内面軽視」傾向が悪い方向で現れてしまったとも考えられる。もちろん、ディズニー・ピクサー的「お涙頂戴」描写のマンネリズムを痛快にあざ笑ってみせた『Mr インクレディブル』の大成功のように、それは持ち味ではある。他方、『レミーのおいしいレストラン』の主人公レミーに、「周囲の理解が得られない不遇の天才」という程度の性格しか与えていない点はネガティブに作用したと思う。同作ではそのために、クライマックスにおける辛口批評家との「闘い」の決着が、不満足な仕上がりとなってしまった。
 ピクサーでの監督作しか観ていない自分が判断することではないが、エリート主義のニオイが作を追うごとに強まっているのが気になる。ふと、バードはアイン・ランドのファンなのかな、と思って検索してみたら、真偽は分からないが、やはりアメリカではそういう議論が起きているようだ。
 
■ヴィランの言い分
 エリート主義とも関係してくるけど、ヴィランの主張が言いっ放しで思想的決着がまったくついていないのも消化不良。だが、それよりも、その主張と手口に絡めて、もっと映像的な工夫のしどころがあったと思う。
 要は「ドラッギーな映像で催眠術をかける」わけだが、こうしたヴィランの手口と主張は軌を一にしている。つまり、「スクリーン越しに洗脳する」設定自体がメディア社会に対する批評・風刺として機能しており、そこまではよいのだが、映像としてもっと面白くできなかったのかな、と。その催眠映像とやらがそもそも手抜きレベルで、まったく面白味がない。
 生の体験でない疑似体験が悪だというのなら、まさしく疑似体験的なメディアであるヴィデオゲームやVRのような「一人称視点」映像をもっと強調するとか、そういう工夫が欲しかったところ。まさにそのために登場させたと思しき超小型カメラも大して生かせていない。監督どうしちゃったのって感じ。
 
 
 ま、鑑賞中はこんな余計なこと考えない程度には楽しませてくれるけど。それにしてもバードももう還暦だし、そもそも生え抜きでないし、本作の成功がピクサーの将来にたいする不安を払拭するわけではない。若手監督の降板が多いし、ラセターもいなくなった。もっと心配なのが、完全新作の予定がないWDFAである。
 
 というかこの一家、将来的には「もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな」状態になりそう。