海老

インクレディブル・ファミリーの海老のレビュー・感想・評価

4.2
ピクサーはいつでも、夢を見させてくれる。
それは、煌びやかで別世界の幻想というよりは、少し身近で親しみやすく、隣に寄り添ってくれそうな夢。

前作「ミスターインクレディブル」では、ヒーローの華々しい活躍と対比的に、受け容れる人が居なければ超人でさえ輝けない「認める事の大切さ」を描いてくれた。
今作においては、一方的にヒーローに依存し、救けられるばかりで自分で何もしないと揶揄される一般人が槍玉に挙げられる。つまり、僕達が。

とある映画ライターが、「前作は分かりやすい勧善懲悪だが今回は複雑」と評していたけれど、僕には「どちらも分かりやすいが単純ではない」ように思える。

前作の地続きで始まる導入において、相変わらず「違い」を恐れる多数派がヒーローを屈服させる構図が苦々しい。前作で取り上げられた問題は完全には解決せず、社会を相手に再び戦う正当な続編で、今回の立役者に抜擢されるのはイラスティガール。
活躍に焦がれるボブでなく、家族に対して保守的なヘレンが。
この時代に男性でなく女性が。
何より「剛」のインクレディブルに対して「柔」のイラスティが出撃するというのだから面白い。
イラスティガールの名、「elastic」には、「伸縮性、弾力性」という意味と同時に「融通の利く」という意味もある。社会の変化に素直に従う柔軟性を持ちつつも、定められた規則にはまるで融通の利かない姿勢はどこか皮肉的でもあった。
そんな彼女がイラスティサイクルで、自らの能力を存分に開放して街を駆け回る姿は、圧倒的に美しく、圧倒的に爽快で、思わず感嘆の声を漏らしては、隣の愛娘に「静かに」とたしなめられた程。

しかし、そんな偉大なヒーローでありながら、同時に偉大な母であったヘレンが不在の一家は大変なことに。
インクレディブルには「並外れた」という意味と同時に「信用できない」という意味が。
ヴァイオレットはスミレの花言葉のように小さな幸せに翻弄され。
ダッシュは立ち止まって考えることが出来ず。
ジャックジャックはそもそも赤子で力の制御もままならない。

この作品の中に、完全無欠のヒーローなんてものは登場しない。

それは、超人的な能力を持ったヒーローだって、家族を育むのは大変なんだという親近感を抱かせる。けれどもそれ以上に、各々の短所を個性と認めて支え合う事の大切さに改めて気付かせてくれる。
完全無欠じゃないけれど、互いを補完し合えば大きな力を生み出せるヒーロー達。
力を誇示するために前線へ出る事ばかり考えていた子供達が、家族を救け、自分の持ち場を真っ直ぐに宣言する姿はとても尊いし、それに応える父親の背中はあまりに大きい。完璧なパパでなくとも最高のパパ。そこがいい。何でもできる必要なんてない。自分にできる事を最大限にやればいい。

彼等に救けられる一般人も、きっと各々に出来る事を果たしている。そもそもヒーローも、守るべき者が居なければ成り立たない。それは相互依存の関係とも言えるし、この世界は色んな相互依存で支えあっている。

ヒーローである為に、巨大な船を素手で止める必要なんて無い。そっと手を繋ぎ、手を引く姿を見上げる娘の目に、僕はどう映るだろうか。この小さな手で握っていられる程、子供にとってちょうどいいヒーローでありたい。

そんな夢をピクサーは見させてくれる。
だから惹かれる。
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