猫とフェレットと暮らす人

LION ライオン 25年目のただいまの猫とフェレットと暮らす人のネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

実話を基に情緒的に描かれるインドのスラムで迷子になった可愛いらしい子が、慈悲深い育ての両親に出会い、生んでくれた母親に出会うまでの物語で、何か手を差し伸べる術はないだろうかと自問して、無力な自分を知る道徳的な映画。でも、何かできる人はいてるはずだよねってのも思える映画。

序盤からオーストラリアの家族の養子になるまで、映画の時間でいえば半分くらいが、ずっと心配でならなかった。かわいいサルーが、迷子になって、駅にて一人であちこち探しまわるシーンなんて、心配で、心配で、観ている私自身の気持ちが耐えきれるのか?も心配で観てました。

この駅でさまようシーンなどは、原作者本人であるサルー・ブライヤー氏が語るには、まるで鏡を見ているようだと表現していて、再現度がめちゃくちゃ高く、鑑賞した本人も当時の気持ちを思い出し涙が止まらなかったそうです。そして、それを演じた子役のサニ・パワールや大人になったサルー役のデブ・パテルに対してさすが俳優だとして感銘を受けたとのことです。

観ている私は、5歳くらいの頃はよくスーパーマーケットで迷子になっていたので、その記憶が蘇りました。とても不安で、不安でしかなかったので、主人公の幼いサルーの姿を見ていると、なんとも言えない気持ちになりました。

映画だとわかっていても、画面に登場するスラムは本物ですし、こんな幼い子供が生きて行くなんて、大変すぎて、早くエンディングを見たいとさえ思ってしまいました。それほど、早く好転してほしくて、心配でたまらなかったです。

人身売買されそうなのかな?なシーンもゾッとしました。

スラムもガンジス川での沐浴もマジだし、それに対比するように街は発展していっているので大きな橋などの建造物もあり、レストランで優雅に食事する青年もいて。
格差社会というか、対比が凄すぎる価値観の街に、おののくばかりです。

でも、これが、今、私が生きている同じ時間を共有している人々の暮らしと考えると、手を差し伸べたいし、でも、そんな事できる余裕のない自分に歯がゆささえ感じます。

孤児院で一安心できるかとも思いましたが、やはり、そんなに甘くはないですよね。毎年8万人行方不明の子供が居ているなんて、孤児院も溢れかえっていたし、不憫でなりません。

オーストラリアの両親はほんとに神様・仏様って感じで、育ての母であるスー・ブライアリー(ニコール・キッドマン)の慈悲深さ、凄すぎる。自分は子供を産めなかった訳じゃないのに、不憫な子供を養子に迎えて育てることをあえて選んでいるって。こんな人いる?ってびっくりだし、恐れ多いというか、頭が上がらないとはこの事です。実話なのでこんな人いるんですもんね。ありがたや、ありがたや。

弟として迎えられたマントッシュも不憫で。過酷な状況で感情が制御できなくなっちゃったんだね。サルーの進学のお祝いの席に来なかったのも台無しにしたくなかった優しさだよね。自分の事を分かってるから一人暮らしして仕事もして湖畔の一軒家で過ごしてるもんね。

サリーがマントッシュにきつくあたるのもわかるなぁ。母親に迷惑かけてる感じだもんね。でも、サリーの怒りはマントッシュが家族で本物の弟と思ってるからなんだよね。もし、他人の意識があるなら遠慮もあるだろうけど。
自分の考えを強引にぶつけけるなんて、弟だからやってしまってるんだろうね。

こんな優しさの塊人間に育てあげたオーストラリアのブライアリー夫妻は凄すぎるよ。

そして、オーストラリアでの周りの友達たちも優しくて、ちょっとした偏見を言う友達にはちゃんと他の友達は、注意していい関係です。

Google Earth では約9,855時間を画像検索に費やしたそうな。そりゃ、仕事もやめて閉じこもってって描き方にもなるよね。

描き方といえば、映像はかなり情緒的。雰囲気だけで多くを語らない演出。景色や役者の表情がから読み取れる味わいが深い。多くの余白が考える時間を与えてくれてて好きでした。

ラストは、生んでくれた母にあえて良かったね。本当の兄が亡くなってしまっていたのは、残念でなりませんが、一応、物語の主題である、生みの母に会えるというハッピーエンドで良かったです。

原作者本人であるサルー・ブライヤー氏の現在は、孤児院の運営やインドとオーストラリアの養子縁組の支援活動、世界中での講演を行っており、映画を通して子供たちを救おうと尽力されているそうです。

最後に明かされますが覚えておくために記載しておくと、LION(ライオン)というタイトルはサルーの本名であり、生んでくれた母からもらった名前であるシェルゥ・ムンシ・カーンから来ていて、「シェルゥ」ってのがヒンディー語で「ライオン」という意味だそうです。「サルー」は幼かったのでちゃんと「シェルゥ」って発音できなかったので生まれた呼び名です。

このエピソードが幼い可愛さと、自分の名前も正しく言えないほど幼くして過酷な人生を歩んでしまった、というのが含まれれて、ちょっぴり複雑だけど、素敵なタイトルだと思います。