【最後に明かされる真実】
観る前からある程度泣ける映画だとはわかっていたけど・・・。
いや~泣きました。カバンからハンカチ出してまで涙を拭いたのは久しぶりかも・・・。
実話だと聞いていましたが、そうわかっていても凄いですよね。
インドというお国柄もあるのかもしれないけど、迷子になった時の孤独感がハンパなかった。
同じ国なのにヒンドゥー語とベンガル語では全く通じないんだね。まぁ同じ日本だけど津軽弁がわからない僕と同じようなこと?(笑)
それはそうと、サルーを演じた子役サニー・パワール君の演技が凄すぎた。
いや、演技っていう表現を使いたくないくらい、彼が画面に映っているだけでシーンが成立してしまうくらいの存在感がありました。
お兄ちゃんと逸れて迷子になって瞬間の切ない表情や、それでも必死におうちに帰ろうとする健気な姿を涙なしで鑑賞できる人がいたら凄いと思うよ。
でもね、サルーは泣かないんだよ。
何故だろう…実はずっと気になってた。
5歳の子供が体験するにはあまりに壮絶な状況のはずなのに、サルー少年は決して泣きませんでした。
不安で一杯なはずなのに・・・。
そして、そんなサルー少年を見て思うわけですよ
『そんなに頑張るなよ・・・』と。
とにかく 観ているこっちの心が折れそうなくらいの状況の中でサルー少年は一生懸命頑張ります。
だけど絶望に次ぐ絶望・・・。
迷子になったと気が付いた直後、コルカタの駅で周りの大人たちに懸命に事情を話して助けを求めますが誰も助けてくれません。本当に誰一人も。
理由はいくつか考えられます。
まず第一に言葉が通じないので、何を言っているのかわからない。
次に、これは後に続くシーンで出てきますが、とにかく多いんですね、孤児が。だから駅を行きかう大人達から観ればサルーもその中の一人でしかなかったんです。
だから見て見ぬふりをするのです。冷たいな~とも思いましたが、それが現実でした。
心細いよね~・・・本当にこの辺の演技は上手かったな。
映画を観ている人の心は完全にサルー君と一緒に「孤独」「恐怖」「寂しさ」「切なさ」等々徹底的にネガティブな精神状態に追い込まれます。
翌日、ぼんやりと線路の上を歩いているとヌーレという弁当売りの女性が優しく声をかけてきます。
結果的にはあまりよろしくないタイプの人ではありましたが、あのシーンだけで考えると、一人ぼっちの子供に優しく声をかけてくれる大人の存在に、何故かこっちまで「寂しかったよ~」と弱音を吐いて泣きついてしまいそうな心境でした。
その後の数々の出会いは彼にとってとても意味の深いものばかりでした。
偶然レストランでスープを飲んでいた青年の真似をしたことから運命は少しずつ動き出します。
孤児院(?)みたいなところで、子供たちがみんなで歌っていた「空いっぱいのお星さま」は切なかったなぁ。
でもここでオーストラリア行きの話が出たんだね、納得。
インドからオーストラリアまでが繋がりました。
でもさ、里子として受け入れたジョンとスーはさ・・・反則だよ、優しすぎる。 里親になろうと決めた理由も素敵すぎるし、こんな人たちに育てられたら「ホントの親に逢いたい」なんて言い出せないよ。
鑑賞中は本当にいっぱい色んな事を考えちゃいました。
今日も当たり前のように家族と一緒にいられるって奇跡なのかもしれないな・・・と。
・・そして、ラストに流れたテロップでいろいろと事の真相が明らかになった。
サルーが迷子になった直後、お兄ちゃんがサルーを探しながら別の汽車にはねられて死んだこと。
お母さんはいつか帰ってくると信じて遠くに引っ越さなかったこと。
サルーは幼くて自分の名前の発音を間違っていたこと・・・。
本当はサルーではなく「シェルー」で、ライオンという意味だったこと。
・・・そうか、だから彼は泣かなかったんだね。強くて優しいライオンだったんだ。
そう思ったら自分なりに納得してまた泣けた。
今年のアカデミー作品賞は「LaLaLand」ではなく「ムーンライト」だった。
でも個人的にはこの作品が獲っても良かったかなと思う。・・・いや、余計な色や味付けはいらないな、この作品には。
とにかく「事実は小説より奇なり」とはよく言ったものだと思うよ。
最後に・・・・ お兄ちゃん、自分を責めないでね。サルーはいろいろあったけど無事帰ってきたよ。