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山河ノスタルジアのROYのレビュー・感想・評価

山河ノスタルジア(2015年製作の映画)
4.1
過去・現在・そして未来。ずっとあなたを想いつづける―。

急速に発展する中国の片隅で、別れた息子を想いひとり故郷に暮らす母。息子は異国の地で、母の面影を探している。母と子の強い愛から浮かびあがる、変わりゆくこの世界。変わらぬ想い。

踊る

■STORY
1999年、山西省・汾陽(フェンヤン)。小学校教師のタオは、炭鉱で働くリャンズーと実業家のジンシェンの、二人の幼なじみから想いを寄せられていた。やがてタオはジンシェンからのプロポーズを受け、息子・ダオラーを授かる。2014年。タオはジンシェンと離婚し、一人汾陽で暮らしていた。ある日突然、タオを襲う父親の死。葬儀に出席するため、タオは離れて暮らすダオラーと再会する。タオは、彼がジンシェンと共にオーストラリアに移住することを知ることになる。2025年、オーストラリア。19歳のダオラーは長い海外生活で中国語が話せなくなっていた。父親と確執がうまれ自らのアイデンティティを見失うなか、中国語教師ミアとの出会いを機に、かすかに記憶する母親の面影を探しはじめる―。

■NOTE I
◯ペットショップ・ボーイズのカヴァー曲「GO WEST」をBGMに、若者たちが健康的なダンスを繰り広げる、幾分滑稽に見えるシーンで映画は始まる。ヴィレッジ・ピープルが、ゲイの聖地と呼ばれるサンフランシスコを目指そうというメッセージを込めたという原曲「GO WEST」の基になっているのは、アメリカ西部開拓時代のスローガン、「西部へ行け、若者よ。この国とともに成長せよ」を引用したものだ。実際に90年代当時の中国のディスコで、この曲が流行っていたというが、ここでは、当時のアメリカ同様、これからの中国の輝ける経済発展を暗示するとともに、中国社会のむやみな西洋化志向を皮肉る意味でも使われている。

◯「過去」のパートで描かれるのは、ヌーヴェルヴァーグを想起させる三角関係であるが、カネの力でのし上がり、海外でのビジネスへ手を伸ばそうとする青年ジンシェンと、炭坑で働く貧しい青年、そのどちらかを選ばなければならないタオの状況、そして彼女が前者を選択するという展開は、まさに拝金的な価値観、西洋的な方向に向かう中国の変容を象徴するものだ。タオに見捨てられる「古い中国」とは、本作に何度か姿を見せる中国の神「関帝」の像や、偃月刀(えんげつとう)を持って往来を歩く子供などのイメージによっても象徴される。ドイツの輸入車が古い石碑にぶつかり動きを止めるというシーンでは、伝統的な「古い中国」が、新しい西洋化の進行を妨害するものとして意味付けられている。二人の青年が激しくぶつかるのと同様、やはりこの二者は交わることのできないものなのである。

◯近代化、西洋化による中国人のアイデンティティー喪失が、最も深刻化するのが、三つ目のパート「未来」である。「ピーター」という英語名を名乗り、息子のダオラーとともにオーストラリアに移住したジンシェンは外の社会ではなく華僑のコミュニティーのなかだけで充足しようとする。だがそれは、彼自身が「中国人」であることの証明でもある。対して成長したダオラーは自身を「試験管ベビー」だと例えるように、西洋的な文化、生活に順応したがゆえに自身のルーツや文化とは切り離された存在となっている。立脚点を失った「さまよえる中国人」の姿は、近代化、西洋化の果ての未来の中国の姿でもあるだろう。自らも映画を監督する作曲家、半野喜弘は、過去にもジャ・ジャンクー作品の音楽を担当しているが、本作では哀感を誘う主題を何度も変奏することによって、映画に統一性を与えながら、このテーマを音楽として体現するべく美しい設計を見せている。

本作に登場するオーストラリア南東部海岸の観光地「グレート・オーシャン・ロード」には、長年海岸に打ち付ける波によって削られてできた「十二使徒」と呼ばれる岩石群がある。現在はさらなる波の浸食によって、12あった奇岩は8つにまで減ってしまったというが、本作の未来パートではそれが「三使徒」にまで減ったという状況が描かれる。本作の主人公であり、女優の名でもある「濤」(タオ)という言葉は「海の波」の意味があるという。それはかつての伝統や「山河」までをも喪失させていく時代の「波」だともいえる。

小野寺系「ジャ・ジャンクー最大のヒット作『山河ノスタルジア』は、新時代の中国国民映画となる」『Real Sound』2017-01-06、https://realsound.jp/movie/2017/01/post-3679.html

■NOTE II
と、ここでワタシは、本作で一番重要なことを2つ押さえたままあらすじを書きました。それは、「一番重要」どころか、音楽で言えば、ストーリーや登場人物の方が伴奏であり、以下のことがメロディーであるかの如き重要性なのです。

それは、中国人が、まるでアメリカ人のようによく踊る。という事、もう一つ、中国人は、何かと言うと、爆竹やダイナマイトや、日本の花火など比べ物にならないほどのマッシヴで危険な「花火」をやたらと爆発させる。という、知っている人にはよく知っている2点です。

この一般的な事実を、ここまで象徴的/具体的に描いた映画はありません。世界各国のチャイナタウンで、旧正月に鳴らされる爆竹はうるさくてしょうがない。小さな国の、小さなエリアであんなモン鳴らしたら、法規制を受けかねません(因みに、横浜の中華街も、80年代には「旧正月の爆竹禁止」が条例化ぎりぎりまで行ったことがあります)、しかし、中国大陸の中で鳴らされる「火薬」の意味は、どれだけ派手な爆発があっても、山河に飲み込まれてしまう。大陸での火薬は、「一瞬と永遠」を、何度もなんども再確認するための装置なのです。ドッカーン!!も、パパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパンッ!!!!も、遠い山々に消えてゆき、硝煙だけが亡霊のように残る。

「時間と忘却の天才」と呼ばれる、まだ46にしては老成した、というより「若年寄」にしか撮れない、一種のSF的な透徹した人生観は、欲望に目がくらんで狂って行くジェンシェンの、内的葛藤、その個人的な愚かさ(劇中、あらゆる爆発物を爆発させるのはジェンシェンです)と、前述の「中国における悠久の時間は、火薬の爆発という強烈なアクセントによってしか、分節できない」という、民族的/無意識的な構造を見事に重ね合わせています。

そして、これはもう「ダンス映画」と言って良いほど、ダンスが重要な映画です。あらすじを書いてもネタバレにならない。火薬の話さえも。しかし、比較的長尺の本作で、僅か3回だけ出てくるダンスシーンの解説だけは、ご覧になった方、お一人お一人の解釈に委ねるのが批評的倫理というものでしょう。

3回のダンスシーンは、全て意味が違い、世界で一番、日常的にダンスをしなくなってしまった、日本という国に住む我々には(今でも、沖縄とか、東北等では、酒でも入ったら踊りだす人々もいるでしょう。それでも、全然、日本人は、欧米人や南米人、他のアジアの国々人々と比べて、というより、世界で一番、「踊らない国民」なのですーーフェスとか、盆踊りとか、フラッシュモブとか、アイドル応援時のオタゲーとか、あるいは、ええじゃないか運動とか、制度化された集団ヒステリーではよく踊りますが、「制度化された集団ヒステリー」というのは疑義矛盾であるほどハードルが高く、つまり「祭り」ですよねーー)、ちょっと笑ってしまったり、唖然としたり、落涙を禁じえなかったりしますが、とにかくこれはフレッシュなまま劇場でご覧いただきたい。キューバ人が街角で踊っていても驚かない、欧米人がパーティーでみんな流暢に踊る、「なんか素敵だね」とか言って。

しかし、踊りとは、あらゆる人間の、あらゆる耐え難いまでの喜びや悲しみを、祈りや遊びに似た形で、外側に放出する人類の叡智なのです。

菊地成孔「菊地成孔の『山河ノスタルジア』評:中国人は踊る。火薬を爆発させる。哀切に乗せて。」『Real Sound』2016-04-29、https://realsound.jp/movie/2016/04/post-1584_2.html

■NOTE III
また監督の故郷・山西省の汾陽(フェンヤン)が今回も物語の舞台となっている。「僕にとっては非常に、映画の中の虚構の町であり、この名前の持つ普遍性、北京でも上海でもない、中国の大多数の人が生きる町としての意味を持っている」という。美しい映像と共に、作品の中には記憶としての多くの「記号」がちりばめられているが、「自分の忘れ難かった『記憶』が残っているのだと思う。僕が暮らしてきた生活の中で見てきたもので、懐かしい忘れられないもの。それが映画の中では、人の暮らしの雰囲気や『想い』なのではないか」と述懐する。

今回は、ペット・ショップ・ボーイズの「GO WEST」や台湾生まれの歌手で女優のサリー・イップの「珍重」など、90年代当時の流行歌が効果的に使われていることについては、「『GO WEST』は最初から決めていた。当時の若者の一番の娯楽、流行はディスコでこの曲が流れていた。あの時期は経済改革が一回あって、もう一回波が来て急速に上がっていき、経済が開放されるという豊かな希望に満ちた時代だった」とし、「『珍重』は別れを惜しむ曲で、この作品には沢山の別れが表現されているので使用した」という。
そして本作では「徐々に中国人としてのアイデンティティが失われつつあることを表現したかった。長い幅の時間の中で、老いても同じ人間でありながらいかに人が変わるのか、それは社会からの変化かもしれないし、時間が経ったことからくることかも知れない」と語り、ドキュメンタリー作品を定期的に撮っていることも「知らないことを知っていく過程が楽しく、映画を撮るための活力を養ってくれる」と述べた。

「ジャ・ジャンクー監督が『山河ノスタルジア』に込めた、変わらぬ思い」『映画.com』2016-04-17、https://eiga.com/news/20160417/3/

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