Jimmy

あしたのJimmyのレビュー・感想・評価

あした(1995年製作の映画)
3.8
大林宣彦監督の「新・尾道三部作の第二作目」となる『あした』は、死んだ大切な人からメッセージを受取った人達が尾道の浜に集まって、大切な一夜を過ごす感動的なドラマ。

「新・尾道三部作の第一作目」の『ふたり』は幸せな物語であったが、本作は切ないけれどもユッタリとした時間が伝わって来る群像劇であった。
船の沈没事故で亡くなった人達は、残された人達にとっての恋人だったり家族だったりするが、「午前0時になったら呼子浜で会おう」と亡き人達から生きている人達へメッセージが伝わると、亡き人と再開できることを期待して様々な方法で呼子浜へ向かう。自転車、バイク、小さな自動車、オート三輪、舟、大きな自動車など…。
そこに、メッセージとは縁のない女性二人を絡めての物語は本当に良くできていた。

本作冒頭に次のテロップが出る。
「――――ひとは約束する。
 出逢うために、
 共に生きるために、
 そして、――――
 ときには、『さようなら』を言うために」

物語の内容については、詳細は割愛するが、DVD特典映像(約30分)には大林宣彦監督の思い、エピソードが語られていたので、一部紹介する。
○大林宣彦監督は、本作を「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・尾道」と考えており、時の流れをとても大切にした映画であること。
○呼子浜に作ったセットの小屋を舞台にした夜シーンの多い映画であるが、この浜は潮の満ち引きの差がとても大きくて8メートルの違いがあったため、海面高さと天気を気にしながらの難しい撮影であったこと。(2月頃の真冬の寒い時、夜シーン中心、45日の撮影期間)
○この映画を作るにあたって、船が浮かび上がるシーンはCGを使わずに、本当の木製の船を一旦沈めて浮かび上がらせたところを撮影したもの。
○カメラマンと照明係から、「生者には影を付けて、死者の影は無くしてしまおう」という提案があったが、監督は「同じ時間を生きる人達…という意味にしたいので、影は生者も死者も有りにしたい」との意向で影を無くす処理はしなかったこと。……など
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