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たかが世界の終わりのTOTのレビュー・感想・評価

たかが世界の終わり(2016年製作の映画)
4.5
愛を分かち合うことができない私たちはまた、別れを分かち合うこともできない。
その別れの理由を明かすこともできない。
(別れの、つまり主人公の死の理由を、兄と兄妻の役回りもあわせて考えると面白いと思うんですが、それはコメントに)

相変わらずのテーマの変奏は、ハイセンスとポピュラーの垣根を越え、登場人物は役者を変え作品から作品へ転生し、強度を増す。
家族と室内の閉塞感を際立たせるクローズアップ、ピント合わせの緩急にスローモーション、早送り、劇伴とラストのエモーショナルなど、やりたいことを確信犯的にやってのける面の皮の厚さ。
激しく空疎な会話劇、核心に触れないために取り繕いを繰り返し、聞き飽きて耳も心も閉ざしたくなる瞬間、真実を言っているように思える、元の戯曲を活かした台詞がいい。

下世話で口やかましい母、唯一の理解者となる第三者の兄嫁、マチズモに満ちた兄、主人公に憧れる妹。
口数の少ない主人公ルイに変わり、兄は母に余計なことを言い、妹は不満を抱えつつ母と同居する。
歴代ドラン作品で1対1で対峙してた母と子の緊張を子3人に分散し、ルイは亡霊のようにもの言わず、暴力性や弱さは兄と妹に転化する、映し鏡のように息苦しい関係。
過去作とは異なる家族愛の内圧が面白い。

母へ反抗しながら同性として母に寄り添い、憧れの兄ルイに虚勢をはる妹レア・セドゥ好きだった。マイアヒ良かったね。
ナタリー・バイ演じる母が老眼鏡でルイの絵葉書を読む姿も。
ルイがマイアヒで母の揺れるスカートを回想した後に母と物置で話す時、母を抱きしめながら、記憶の中のスカートと重ねるようにカーテンを見る瞳を映すカットも印象的。
愛ってなんだろ。
わたし、今までドランのスカートの描写って女性的なもの母なるものの象徴かと思ってたんですが、自分とは異なる存在、異物異界の象徴なのかもしれない。

ラストカットは『トム・アット・ザ・ファーム』のフランシスのUSAジャンパーに匹敵する、ユーモア、皮肉、下世話の微妙なとこですが、いかにもドランらしい。
作品への評価は賛否両論あると聞いてたけど、まあわかるような。
ワンシチュエーションをじっと見守るような山を登って降りるタイプの楽しみ方ができ、私は2度見てもあっという間だった。
ドランが描いてるのは単なる自己愛や自己憐憫による不和対立ではなく、人は家族であっても確立した一個人であることのどうしようもなさだと思っている。いつも。
誰も譲らないから対立が激しくなる。
でもそれこそ、今回ナタリー・バイが語るように理解できなくても家族を、他者を愛してるんじゃないだろうか。

完璧主義者っぽいから根つめすぎないよう長く撮り続けてほしい。
次も楽しみにしてる。
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