叶愛

たかが世界の終わりの叶愛のレビュー・感想・評価

たかが世界の終わり(2016年製作の映画)
4.1
見ながら、真面目に、心を割いて、見ていたので、登場人物たちが、自分じゃない人間にも、挙句自分にも、振り回されて疲れては、また戻ってくる、そのやりくりに、あたしも疲れました。何に感動するんだ、何が良いんだ結局これは、となってたけど、見事な時差で、書きながらいま、猛烈に泣きそうになっていて自分でも、彼らのように、何もかも、もうよく分からない。自分が、言おうと決心した、本当に伝えたいことを、あたしは、今まで、生きてきた中で、多くの場合、その殆どを伝えることができていたと思う。言おうと決めたことは、しっかり、届けることができていたし、それに伴う後悔も、そんなにない。結果もきっと、良いものだった。でもいま、ああ、やっぱり涙出てきた、。あたしは、そう思えても、それでも自分の中に残っている、言わずにおいたたくさんのこと、言うべきだった数えきれない言葉、勇気をひたすら用意して、それでも言えなかった言葉を、たくさん思い出して、やっぱり涙が、止まらずにいる。言えなかったのは、あたしのせいでも、あの子の、あの人の、彼のせいでもなかった、本当に全身全霊で、言葉にならずに、自分の心にひたすら反響させることが、最大限に、そのときの自分にできることで、それ以外のことは、したってしなくたって、死にたくなるくらい、くるしかった。あのとき自分は、自分すら保てなくなりそうなぐらいの、ぐらぐらな感情の渦中で、ひたすら相手のことを想っていて、自分の言葉が、相手の心にいかに響くかを、相手が自分に刻みつけていった言葉の多くから、しっかり学んでいたせいで、固めた勇気も何もかもが揺らいで、口も体も動かせずに、それでも相手の存在をすぐそこに感じている事実に、途方に暮れるしかなかった。いかに自分が自身の葛藤に立ち向かって勝ち上がっても、同じように他人も持つそれに立ち合っては、その決心は絶対に制限されるし、行き場をなくす自分の中の何かの量が、多すぎる。ずっと自己主張をひたすら抑えて笑っていた主人公や、すぐに感情を表に出す周囲の人物たちは、なんというか、人の中に心があるんじゃなくて、心、心が人の形に置き換わって、そんなどうにもならない人間のドラマを表してくれているように見えた。どうにもならないね、手に負えないや、たかが世界の終わりって、本当に凄い良いタイトルだと思う。諦めとも違う、そうせざるを得なかった、向き合うしかない受け入れるしか、そんな思いが、みんな、このタイトルに詰まってると思います。とりあえず、レア・セドゥちゃんのチェーンスモーカーっぷりが腹十二分に見られるのでもうほんと、それだけで眼福でした、ご馳走様でした。