レナ

サウルの息子のレナのネタバレレビュー・内容・結末

サウルの息子(2015年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

主人公サウルから離れない視点の意味は。
画面は彼でほぼ埋められていたから、時にショッキングなホロコーストの様子も、ドラマチックに描かれるどころか、ぼやけた背景として過ぎて行ってしまう。彼の背中の×印や、険しい表情ばかりが目に入る。体験型のゲームのようだとも思ったり。そのカメラが彼の笑顔とともに最後に少年に乗り移るのだが、カメラの視点そのものに意志があるかのようだった。

サウルが「息子」を埋葬することにこだわる理由は。
彼はゾンダーコマンド、つまり収容されていながらドイツ側のために働く囚人の1人である。つまり彼の日常とは、同じユダヤ人がガス室で苦しみながら死ぬのを知りながら先導し、その死体を運び燃やして灰を川に捨てる。死んでゆくユダヤ人もそうなのだが、サウル達も人間を人間として見ることを諦めさせられ、またユダヤ人という誇りを捨てさせられていて、人間の尊厳などない環境。それに対し、ユダヤ教に則って少年を埋葬することは、彼の尊厳を取り戻す行為、また助けられなかった者たちへの贖罪だったのかも知れない。
しかし、彼は少年を自分の息子だと言い張るがおそらく見ず知らずの少年である。埋葬するために、仲間と対立したり殺されそうになりながらそれでも埋葬にこだわる。サウルをずっと追っているにも関わらず、彼のことが分からなかった。

強制収容所からの脱走も、少年の埋葬も、果たされず映画は終わる。その無慈悲なサウルの運命を目撃する我々は、サウルであり、また最後に現れた少年でもあり得るのかもしれない。
レナ

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