カップルでないと45日で
動物🐕に変えられてしまう世界。
そんなトンチンカンな世界で
重要視されているのは、
彼女(彼)と
どれだけ(共通)であるかということ。
鼻血が止まらない女には
鼻血が止まらない男を。
心ない女には心ない男をってな具合にね。
同一こそが運命、共通こそが愛だ
という世界で生きようと、
相手に合わせたいがために
鼻をぶつけ続ける男と、
心をなくしたふりをする男の
なんと浅ましく滑稽なことよ。
でもこの浅ましいことを、
形をかえて僕らもやってるっていうのが
皮肉めいてて面白いよね。
好きな人のために趣味をかえてみたり
考え方を合わせたりとかっていうのも、
つまりはそういうこと。結局一緒なわけ。
この監督はそういった人間のパーソナルな部分を
気持ちわる~く描くのがうますぎる。
そしてそこがたまらなくいい。最高。
そして、本作で一番注目すべきポイントは、
そんな不条理な世界から逃げ出した
主人公デヴィットが
シングルゲリラ
(恋愛禁止のサバイバルグループ)で
出会った”近視”の女とのあれこれ。
近視のため眼鏡をかけていたデヴィットは、
同じく”近視”をもった女と出会い恋に落ちる。
しかし、二人の様子を怪しく思った
シングルゲリラのリーダーに
”盲目”にされてしまう彼女。
”近視”→”盲目”となり、
共通(≒運命の相手)でなくなった彼女を想い
ナイフを持ちトイレに入ったデヴィットは
どういう決断を下すのか。
つまり、一度見つけた運命の愛のために、
再び”盲目”という共通点を結ぶことができるのか?
という逆説的な問いこそ、本作のテーマ。
ラストはデヴィットがトイレから戻るのを
心待ちにしている盲目の彼女を
(一分超のワンカット)で映してエンドロール。
何とも言えない間と雰囲気でしたが、
皆さんはあの後どうなったと思いますか?
ここからは正解も不正解もないので
自分の考察にすぎないのですが、
まず、盲目かエビ🦐かの二択を
目の前にして自分が思ったのは
「ばかばかしい」ということ。
彼女をもう一度運命の相手と思う
(思い込む)ために
自らの目にナイフを突き立てる?
「ばかばかしい」
たかが近視じゃない(共通でない)だけで
彼女をあきらめロブスターとして過ごす?
「ばかばかしい」
そこで、ふと気づいたのは
この「ばかばかしい」という感情こそ
監督が伝えたいことなんじゃないだろうか、
ということ。
相手と一緒であるかどうかなんて
どうでもいいじゃないか、
取るに足らない「ばかばかしい」こと
なんじゃないかって。
どれだけ”一緒か”で愛を測るんじゃなくて
どれだけ”違うか”で愛を測るべきなんじゃないか。
つまりは(どれだけ違うところを愛せるか)
なんじゃないかって。
趣味や考え方が同じなのは
確かに大事かもしれないけど、
一番大切にすべきはそこじゃないんだよ、と
監督は伝えてくれているのかもしれませんね。
あーーー、面白かった!
(おまけ)
本作を観てメイドっていいね🤔
って思いました、思っちゃいました!
男なら分かってくれるよね?
あと、あんま独身をいじめないで〜😱
2019年8月21日 32本目