もっちゃん

ちはやふる 上の句のもっちゃんのレビュー・感想・評価

ちはやふる 上の句(2016年製作の映画)
4.2
最初に断っておくと私は原作ファンの一人であり、その視点からしか今作を語ることができない。だから原作ありきの視点でレビューをつづりたいと思う。

結論から言うと、今作は漫画原作映画としてはかなり成功しているといえる。原作がテーマとしていたものを見事に抽出して昇華させている。

原作はすでに30巻以上も出ているということもあり、一体今作ではそのどの部分までを描けるだろうと思っていたが、「瑞沢かるた部の結成」という明確なゴールを設定しておりコンパクトにまとまっていた。全くの他人であった5人が「チーム」としてまとまるプロセスを描き切ったこれだけでも十分である。

かるた部の面々のキャラクター造形も見事としか言えないような完成度である。中でも上白石萌音演じるかなちゃん、さらに森永悠希演じるつくえ君が完璧すぎて。かなちゃんはまさに原作通り、おしとやかで上品である反面、人一倍努力家というイメージにぴったりの上白石さんはハマリ役なんだが、原作とビジュアル的には異なるつくえ君は終盤の演技力で前評判を見事にひっくり返してくれた。

原作を読んでいるときから感じていたことだが、「ちはやふる」の主人公は千早ではないんじゃないだろうか。私は「ちはやふる」の主人公は太一であると考えている。「少女漫画なのに競技かるた」という異色の作風の中で、千早や新はかるたに憑りつかれた「スポーツマン」として描かれる。読者(ほとんどが女性であろう)はそんな二人に共感することは難しいかもしれないが、太一は違う。太一は「千早が好きだから千早の好きなかるたをする」という俗っぽい考えでかるたを続けている。彼だけはスポーツマンになり切れていないのである。

本作の劇中でも太一が原田先生(國村隼)に千早への恋心を吐露する場面がしっかり描かれている(この場面で原田先生が告げるセリフは「ちはやふる」全編においても一二を争う名セリフである)。
そう、「ちはやふる」の主人公は太一であり、今まで少女漫画で担ってきた内面の葛藤や恋心を抱く「乙女」は千早ではなく、太一の中に宿っているのである。読者(観客)は千早に共感するのではなく、太一に共感し、自らの恋心と重ね合わせる。さらに恋心とかるたへの思いの中で葛藤する彼にこそシンパシーを抱くのである。
よって今作で原作の太一と比べると明らかにクールさが捨象されているように見えるのもあまり気にならない。彼の完全無欠さよりも不完全さ、葛藤をちゃんと描けていた点で今作にはもう満足なのである。

とは言ってもやはり今作の千早がただならぬ存在感を放っているのは否めない。現在の邦画界の至宝である広瀬すずを起用している時点でそれは避けられないのだが、このキャスティングのすごいところは彼女の使い方をしっかり押さえていることである。彼女の魅力はカメラ画角の中にきれいに収まることではない。彼女は動きの中でこそ本領を発揮するアクティブな女優なのである。

『海街diary』の中の彼女は天真爛漫でサッカーが得意な女の子という見事なハマリ役で日本アカデミー新人女優賞を獲得したが、「ちはやふる」の綾瀬千早も「じっとしていればきれいなのに」と周りからがっかりされるような一癖のある美人である。全速力で学校の廊下を走り抜け、放課後の帰り道には人の目もはばからずかるたの素振りをし、試合後には力尽きて白目をむいてしまうような役は広瀬すずをおいてほかにだれが演じることができるだろうか。鑑賞前は「また広瀬すずか、彼女を使えば外れないと思ってんじゃないか」と否定的だったが、むしろ彼女にしか務まらない役だった。

今作を「青春映画」として見てもいいし、「恋愛映画」、「スポーツ映画」として見てもいい。どの見方をしても十二分に耐えられる作品に仕上がっている。
そして原作者が込めた思い(それは競技かるたという世界にスポットライトを当て偏見を払い、「スポーツ」であると認識させる試みであるとも言えるし、文化的価値を再認識させる試みであるとも言えるし、高校生の青春時代の情熱・恋心・葛藤を描く試みであるとも言える)は今作には丹念に織り込まれている。

次回作『下の句』ではもちろん若宮詩暢(松岡茉優)との邂逅によってバトル要素が増えてくるはずだが、『上の句』の感動をどこまで昇華できるか楽しみである。