賽の河原

人生タクシーの賽の河原のレビュー・感想・評価

人生タクシー(2015年製作の映画)
2.2
映画を撮ることを禁じられたイラン人監督がタクシーの運転手に扮して作ったという体の映画。
まず最初に言っておきたいですけど、私は「表現の自由」とか「言論の自由」は本当に大切だと思いますし、そういうなかでイラン政府から圧力をかけられながらこういう映画を撮るパナヒ監督、すげー偉いし興味深いと思います。この事実自体は非常に重いし引き受けて考えなきゃいけないということは重々承知していますが、「それは映画の出来とは関係ないよね」ってことは感じますよね。
というのもこの映画、ドキュメンタリータッチなんですけど、言ってしまえば仕掛けありのフェイクドキュメンタリーなんですよ。カメラの画角もセリフもお話もある程度計算されて作られてんのが見えるつくりなんですよね。
だって劇始まってすぐ、タクシー乗って来た客が死刑制度について話しますからね。次は事故った怪我人、海賊版DVDの男が映画監督のタクシーに乗ってくる。そら作為的な感じはどうしたってするわけです。
ところがどっこいパナヒ監督、この映画が明らかにフィクションなのは理想的な観客の前では誰の目にも明らかなのにも関わらず、ドキュメンタリー的なカメラアングルは崩さないんですよ。
要は結論を言いますと、「映画のカメラワークが90分間で4視点程度しかないので、画面が退屈かつ単調」。この点が決して映画の出来としていいとは言えないんですよね。眠いよっていう。
私が観た回では劇場で、別に大して面白くないシーンで作為的な笑い声を上げてる観客がいましたけど、ハッキリ言って「私、こういうコメディのセンス分かりますよ」笑いというか、とにかくスノッブな感じで、コメディ感もあんまし評価できないですよ。
姪がラップみたいにまくし立てるところなんかは良かったですけど、金魚鉢のババア2人のところは全然面白いと思えないですわ。意味がわからないし、予想通りに金魚鉢ひっくり返すという。シュールなだけでコメディとして成り立ってないでしょ。
そういう意味で退屈ですよね。今時画角が限られた映画作品、結構視覚的な工夫を入れてる映画が多いけどなあ。「学校で映画を撮る課題を与えられた姪」とか最高にフィクションな登場人物だしてんだからもっとPOV視点とか頭使って演出してみれば良かったんじゃないですかね。
んであとはこの映画のメッセージ性ですけど、「自由が大事」とかさ「多様性が大事」とかいうPC的メッセージなんて今時小学校の学級委員レベルだと思うんですわ。問題は「自由の線引きはどこか」とか「利害関係の調整をどうするか」ってところがキモなわけで。
そういうところへの視野があんまりあるとは思えないんだけど、それはいいのかね。メッセージが浅いんですよ。例えばイランが自由になる。最高ですね。じゃあそれでアラブの春的な反動はないんですかね?ISとかみたいなアイロニカルな問題は起きないんですかね。イスラム原理主義者の信仰心の問題はどうなるの?そいつらの信仰の自由なんて別になんとも思っちゃいないんですよ。リベラルであることの病がいま全世界的に閾値に来てるのになんかお気楽ですよね。言い方悪いですけど「映画監督」っぽいです。そういうことを相対化せずに作為的な「ドキュメンタリー」で誤魔化しながらほんのりした政治性みたいの出してくるのは正直あんまし僕は評価できないですし、評価したくないですね。
こういうのが映画祭で評価されて箔がついて、いけ好かない観客たちが閉じた場所で「いやーこれは良いねえ。」とか言ってる状況自体がブレグジッドやトランプ大統領を生んでるんでしょうね。やれやれ。
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