ニトー

さらば冬のかもめのニトーのネタバレレビュー・内容・結末

さらば冬のかもめ(1973年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

なんか時折見せる「狂(おか)しい」感じがジャック・ニコルソンぽいなーなんて思っていたら、なんと本当にジャック・ニコルソンだった。今と体型違うし「シャイニング」の七年前とはいえ、あちらほど狂気を放ってはいなかったから気がつかなかったです。「チャイナタウン」はすぐにわかったんですけど・・・言い換えればそれだけ幅広い演技ができるということなのでしょう。
いきなり映画本編とは関係ないですけど、ニコルソンのウィキを眺めていたらアニメーション方面の才能もあったらしく、完全に後追いの世代とはいえ彼の底なしっぷりに怖くなってくる。「ありがとう、トニ・エルドマン」のリメイクを狙っているというのも、ニコルソンのイメージからはあまり想像できないことだったので、そのへんも含めてこのハゲデブのおっさんの底がいよいよわからなくなってくる。

で、そんなニコルソンがメインを務める「さらば冬のかもめ」は個人的にオールタイムベストにくい込む映画だったりする。
個人的には隠れた名作という感じだったのですが、ウィキの充実ぶりやそこに載っていたリンクレイターの続編構想(来年に公開予定の「Last Flag Flying」がソレらしい)などからまったく隠れていない名作だったことを知る。ただ、ウィキの冒頭の「~アメリカン・ニューシネマの佳作である」の「佳作」の部分を誰が書いたかわかりませんが、明らかな恣意をそこに書くのはいかがなものか。まあこれはおそらく全体の大意としてではあるんだと思いますが、単に「アメリカン・ニューシネマ」というふうにくくるのもオチを考えるとちょっと違うような気もする。確かに「アメリカン・ニューシネマ」ではあるのかもしれませんが、そうでありながらもむしろそれらのカウンターとしてこの映画は在るように思うからです。だから最後の部分が個人的には気に入らないのかもしれないのですが。


ノーフォーク基地に勤務する海軍下士官のバダスキーとマルホールに罪を犯した新兵をポーツマス海軍刑務所に護送する任務が下る。その内容とは基地の募金箱から金を盗もうとした男、メドウズを護送することだった。盗んだ額は僅かに40ドルだったが、募金箱がたまたま司令官夫人が設置した物であった為に懲役8年を言い渡されていた。どうでもいいことですが護送に使うのが普通の公共交通機関なのが意外、ていうか時代なのかどうかとか思ったり。
設定としてはこれがほとんどすべてで、映画で描かれることはこの刑務所までの道程でしかないわけですが、その道程のすべてが胸にキュンキュン来る。

当初は楽に金がもらえてついでに遊ぶこともできて楽勝楽勝とバダスキーもといバッドアスだったものの、実のところメドウズは金を盗む前に捕まっていたり盗み癖がついてしまっていること(現代では万引きグセというのは病として見られていたりもするわけですが)や、向こう8年は陰湿な海軍の連中にいびられまくるであろう彼の境遇の不憫さ(その規則自体が疑うべきものであるのに縛られていることなど)にほだされて、刑務所までの数日に京楽を教えてやろうとするわけです。
その場その場の思いつきで行動するお酒大好きパパなバッドアス、規則正しく面倒事を避けようとするストッパー・お母さんなミュール、そして何も知らないダメダメな童貞ムスコなメドウズの一種の、というよりまさしく家族の物語であるわけです。そういう意味ではファミリームービーでもあります。

お話としては本当に上で述べただけのことで、実のところは本編を見ろとしか言いようがないくらい役者のアンサンブル・ディテールだけでできている映画な気がします。
だから、できる限りそういうディテールを書き連ねていく以外に語るすべがわたしにはないのです、恥ずかしながら。

たとえば、チーズバーガーを注文するところで、チーズを溶かしてくれと注文したけれどメドウズのチーズが溶けていなくて、けれどメドウズは「これでいいよ」と言うのに対してバッドアスがウェイターを呼んで「チーズを溶かしてくれ」と言ったり(これは後の目玉焼きの半熟のくだりにつながっていくのですが、ここでのちょっとした笑いとかも本当にキュンキュンします)、せめて牢屋に入る前に酒を飲ませてやろうと見知ったバーに行くと店員が変わっていて「未成年に酒を飲ませるのは法律違反(メドウズは未成年)」と宣ってあやうく銃撃沙汰になりそうになったり、そのあとに酒を買ってホテルで三人でダラダラ飲んだりするくだりは、もう本当にダメなおっさん・大学生の縮図です。余談ですが、酒に関して滅茶苦茶横暴な態度を取っていたのパートの横暴っぷりで「この人ニコルソンぽいぞ」と思ったのですが、実はその前から薄々顔が似ているなとは思っていて、けれどチーズバーガーのくだりでやたら丁寧な振る舞いだったから「やっぱり違うか」と思い直したりしたので、ニコルソンに対する自分の評価が図らずも表出した気がします。

それでまあ、このホテルでの三人のただ酒を飲んでいるだけのシーンとかも本当に最高で、色々とあるのですが、ちょっと打ち解けたかもとメドウズが思ったのかバッドアスに話しかけるときに人差し指で彼の肩をツンツンとつつく(萌えポイント)控えめでおずおずとした指ツンが最高に可愛い。全体的にメドウズの童貞臭のする(ていうか実際にこの時点では童貞なんですけど)所作がたまらんです。

折りたたみのベッドのどれに誰が寝るかという至極どうでもいい部分でやたらこだわるミュールと、面倒くさそうにするバッドアス。そしてすでに一番広いベッドのうえで寝てしまっているメドウズ。この直後の、バッドアスが開いた折りたたみベッドが190度くらいに展開していたりするのが滅茶苦茶笑えます。

そんなチェリーボーイに快楽(酒・女)を手ほどきするバッドアスと冷静なツッコミ役として二人を見守るミュールの関係性萌えという部分でも、もうキュンキュンします。

ホテルを後にして電車で目的地に向かう途中、メドウズの母校である中学校を見かけて降りることにしたり、そこでの彼の実家を巡る一連のやりとりや寒そうにする演技のディティールが最高です。

トイレでの乱闘やらダーツでの賭け事(勝ったお金をしっかり三等分するところがバッドアスのさりげないメドウズへの優しさ・仲間意識だったりして泣ける)やら、唐突な日蓮宗のパートなど、シーンごとに一々面白くて困ります。日蓮宗のところで簾越しに立ちすくむ三人の絵ヅラや、幸せについて歌っている歌だけに好印象を持ち嬉しそうに日蓮宗の歌を口ずさむメドウズに対して、それが胡散臭いものであるとわかっているがゆえに面倒くさそうにしているバッドアスの、かみ合わない表情の見合わせるところとか最高です。

南無妙法蓮華経を口ずさむメドウズは終盤まで見れるわけですが、セックスしたいがために南無妙法蓮華経を唱えるバカバカしさとかたまらんです。

そんな童貞な彼をバッドアスたちは売春宿に連れて行ったり、その売春宿で娼婦を選ぶメドウズを薄ら笑いで生暖かく見守るミョールだったり、手コキ数秒で発射するメドウズだったり、時間制じゃなくて回数性だったがためにまた料金を支払わなくちゃいけなくなったり、童貞特有の初エッチの相手に恋心が芽生えてしまうくだりだったり、雪が降っていて寒いのにわざわざ外でソーセージ焼いたり、ともかくもうこの卑近な日常性がとても愛おしくたまらなく愛らしいです。もちろん、そこにはメドウズのタイムリミットがあるがゆえではあるのですが・・・問題はその部分にあるのではないかと思う。
オチがどっちに転ぶかなーというあたりで期待しつつ観ていたんですが、最後が煮え切らないまま終わってしまったのがモヤモヤ。最後以外が大好きすぎるがゆえにモヤモヤしてしまっているのですが。

つまり、この映画における唯一の不満点として、ラストのある展開があるわけです。
この映画は「欺瞞的な正しさよりも馬鹿馬鹿しい楽しさ」を促しているのに、ラストがその「正しさ」にも「楽しさ」にも振り切らない。そもそも「正しさ」という部分はその旅路=過程において唾棄している以上、「楽しさ」もとい反規則に振り切るほかないと思うのですが、そちらにも行かない。
煩悶としつつも、メドウズは刑務所に入れられ(あおりのショットが物悲しい)、バッドアスとミュールもメドウズの殴ったことで上官に説教を食らう。そうして不満を口にしながら二人は寒空の下を歩いて行って日常へと戻っていく。
歯がゆい。これは明らかに意図していたものであるわけですが、創作の世界に没頭する理由が「何か奇妙なものや逸脱したものを見たい」という部分が非常に強い自分にとっては、現実的にもっとも収まるべきところに収まってしまってモヤモヤするのでしょう。かといって、二人がメドウズを逃がすというのはあまりに出来すぎている(それでも個人的にはそのほうが二人が規則から完全に逸脱するという点で爽快感は得られると思うのですが)ので、たしかに創作物としてありきたりではあるかもしれない。
終わりなき日常への回帰という閉塞感は、この三人が好きになればなるほどに受け入れがたいわけですが、それはこの映画の持つ達観した姿勢にあるわけで、それを受け入れられない自分が幼稚なだけとも言えます。

長回しが印象的で、下手にカットを割らないおかげで、時間が引き伸ばされているようにも感じて(「さよなら、人類」ではこの手法がある種の苦行ではあったのですが)この映画に浸っていられるのもすごい幸せだったんですが、このラストはあまりにも苦い。

この「さらば冬のかもめ」という映画は、ほかの多くのアメリカン・ニューシネマの映画を観たあとにこそ観るべき映画だったのかもしれない。イーストウッドの「許されざるもの」が多くの西部劇映画にとってのカウンターであったように。
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