ドイツ製品は信頼できる。
それは、日本製品にも似ていて、緻密で人間的な真面目さが、ものづくりにも表れているのだ。
同じ敗戦国だから、という訳ではないが、ドイツという戦後の哀愁は、日本人もどこか共感しやすいのではないかと思ったりする。
ヒトラー率いるナチスによるホロコースト(ジェノサイド)。
本作は、ドイツという国の恥部とも言えるだろう、暗い歴史に真っ向から向き合った、若き検事たちの実話を基にした社会派作品である。
静かな中に、太く熱いものが流れた作品だった。
『顔のないヒトラーたち』。
タイトルが秀逸で、内容にすごくマッチしている。
テーマを同じくして、“悪の凡庸さ”を提言した哲学者の話である、映画“ハンナ・アーレント”がある。
この作品とセットで観ると、あのアウシュビッツで起きたことの異常性と、それを現代の私たちがどのように咀嚼すれば良いかのものさしになるだろう。
ヒトラーという異常な思想を持つ独裁者だけでなく、彼に従った旧ナチス党員のアウシュビッツの親衛隊たち。
なぜ彼らは、あのような非人道的で恐ろしい行為を行ったのか?
戦後20年たって、何もなかったかのように、一般社会で生活してもよいのか?
物語は戦争を知らない20代の若き検事が、アウシュビッツで蛮行を行った人達を、改めて裁きにかけるため奔走していく。
自国の闇は自国で裁く。
当時は、どれだけ大変だったことだろうか、と察する。様々な葛藤や矛盾と闘わなければならない。一度は線を引いた歴史の賠償に、新たにメスを入れるとは、勇気がいったろう。
しかし、それを成し遂げたからこそ、今の信頼されるドイツがあるのだろう。これもまた、歴史を作るという事の一つなのだ。
人々は、簡単に『戦争をするな』と言う。
人々は、簡単に『平和を保て』と言う。
私は、簡単に戦争反対とは言わない。戦争なんてだれもが反対なのは当たり前なのだから、改めていう必要もない。それよりも、戦争をするなという前に、なぜ、戦争しなければならなかったのか、戦後何が起こったのかなど、戦争を学び、戦争の正体が見えなければならないと感じているからだ。
悪の凡庸性。
日本人は、どれだけ、この言葉を知っているだろうか?まずは、過去に何が起こったか、そして戦争はどのように終わったのか、学び続けることが、自分なりの戦争に対する考え方であると思っている。
本作も、そんなキッカケになる作品であろう。