『かるたが一番楽しかった時』
再レビュー。
本当に、うるさいんですが、大好きなシリーズです(笑)
原作から知っていたので、アンチになって劇場は完全スルーしていました。
それが、見てみたら、後悔の連続…
下の句は、個人的には、新の物語だと思っています。
憧れのかるた永世名人である祖父をなくし、かるたを続ける理由を見失ってしまう。
自分が悩んでいた時期に観たので、余計に感情移入してしまいました。
つらい時期に見る映画は、なんでこんなに染みるのでしょうか。
心の中に穴が開いてしまったような感覚。
すごく、分かるというか、個人的に共感しまくりというか。
以下ほとんど、ネタバレになります、※読みたくない人は読まないで!
國村さん演じる、原田先生の一言
「君にとって綿谷先生が大切な存在だったのは分かる。
でも、かるたをやる理由は一つじゃなくてもいいだろ」
ぐっと胸をつかまれたセリフ。
かるたをやる意味や理由は、ずっと一緒じゃなくてもいい。
気持ちに変化があるのは、当たり前。
続けてみることが大切で、その中にある「思い」は、変化していっていい。
むしろ、経験重ねるからこそ、変化していくもの。
っていうか、意味とかそういのとかって、正直いらなのではないか。
楽しそうにかるたをとる、千早の姿を見て新は、思いなおし始める。
千早をみていると、意味とか、そういうものから、対極にいる印象。
「かるたが一番楽しかったのは、いつやった?、新」(綿谷名人)
純粋に自分がやっていることを楽しむ気持ち。
一生懸命ものごとを追いかけていて、ふと立ち止まってみると、
楽しかったはずの、やりたいことが、いつの間にか楽しくなくなっている。行き詰まりを感じる。
あるあるですが、自分はちょうどその時期だったので、余計にこのセリフが染みました。
楽しさだけで、乗り切れるほど、甘くはないけれども。
でも、自分自身が楽しんでいないと、うまれてくるものは、人の心に響いてくる血の通ったものにはならないと思います。
そのプラスの気の流れで物事に取り組んでいないと、やっぱりうまくいくはずのことも、うまくいかないよなあと思います。
楽しむってことは、そういう要らない煩悩から、対極にあると思います。
「初心忘れるべからず」ということは、
自分は、夢中で、楽しくものごとを追いかけていた気持ちを忘れないで、やることだと思います。
本当に、大袈裟ですが、この映画には救われている自分がいる気がします。
思い出に残る映画体験でした。
自分も、この物語に救われたように、誰かにとって、何か活力になるような。
そんなものをつくっていけたら、最高のものを届けられたら。
まだ、全然机上の空論ですが、小さな夢ができました。
やっぱり、映画は素晴らしい。
僕は、映画は、芸術は、人を救う力があるって本気で信じています。
長いレビュー、読んでくれてありがとうございます!