【リブートではない!アベンジャーズ2の続編としてのスパイダーマン】
今回のスパイダーマンはリブートというより、MCUの連続ドラマの中の1作品。
これまでに積み上げられてきたMCUの歴史や背景を知った上で観ないと、今作の敵の思想も劇中で発せられる台詞の意味合いも掴めない。
アイアンマンが「親愛なる隣人」でいることをピーターに押し付ける。
それは、これまでのMCUで語られてきたヒーローとしての代償を噛み締めた上での発言である。
また、敵が語る「力を持つ者が持たざる者から搾取する」社会構図。
これも、これまでの作品で描かれ続けてきた敵との争いの副産物。
つまり、今作はどこにでもいる少年が力を手にしヒーローになるという、これまでのスパイダーマンの方式をとっていないのだ。
【glee以降の高校生のスクールカーストの描き方とは?“ブレイン”の中にもカーストが存在する】
今作のピーター・パーカーは高校生。
彼はいわゆる“ブレイン”。日本的に言うとガリ勉くんと揶揄されるグループに所属している。
全米学力大会に出場する部活のようなものに所属しているピーター。
チームのメンバーは“ギーク”(おたく)の親友テッド。
インド系のいじめっ子。
“プリンセス”(金持ちの娘)のヒロイン。
“フローター”(不思議少女)の黒人娘。
他にもアジア系の学生もいたりと、明らかにgleeで描かれた多種多様な人種のいるアメリカの高校生を集約させたような人物配置である。
しかし、彼らは全員“ブレイン”。つまりは“ナード”と呼ばれるスクールカーストの中では負け組として扱われる存在だ。
その“ブレイン”の中でもカーストがあるということを描いているのが今作の魅力の1つである。
また、“ジョック”(主にアメフト部)や“クイーンビー”(主にチアリーダー)と呼ばれるスクールカーストの頂点に立つ学生が出てこないのも面白い。
「ブレックファストクラブ」で描かれたスクールカーストは過去のもの。
ナードも我が物顔で学校を歩くし、イジメもジョックからナードに対してではなく、ナード内で起こっているのだ。
このスクールカーストに注目して観るだけでも、「スパイダーマン ホームカミング」は面白い。
【コメディーとシリアスの巧みな使い分け】
脚本はジョン・フランシス・デイリーが手がけている。
この人は完全にコメディー畑の人といって間違いないだろう。「モンスター上司」や「おバカンス家族」といった“アホコメディー”を書き、人を笑わせてきた人だ。
その一方、監督のジョン・ワッツはシリアスな絵作りに定評がある。
「コップカー」でケヴィン・ベーコンが見せた大人が本気で怒った時の恐怖。
それを今作ではマイケル・キートンが見せてくれる。
特に、ホームカミングに着くまでの一連の流れは、この2人のアンサンブルが効いている。
ヒロインをホームカミングのパートナーに誘うことに成功したピーターは、メイおばさんに助けを求める。
ここがいかにも童貞臭いのだが、それも笑えて仕方がない。
ネクタイの付け方をネット動画を見ながら真似するシーンは、彼が青年期真っ只中だからこそ笑えるシーンだ。
ピーターは幸せの絶頂でヒロインの家へ行く。ドアを開けたら、そこにはマイケル・キートンがいる。
彼の幸せを一気に不幸せへと持って行く事実。
そして、車内での言葉による攻防。腹と腹の探り合い。
バックミラーを使った視線の暴力に、心踊ってしまう。
そして、 ホームカミングの会場に着いた後の、大人が本気で怒った瞬間の怖さ。
部活のノリでヒーロー活動していたピーターが、初めて触れる大人の恐怖。
このように、コメディーの脚本家とシリアスの監督の才能が見事に融合したシーンだったと思う。