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死霊高校のJIZEのレビュー・感想・評価

死霊高校(2015年製作の映画)
3.2
ハンディカム物なPOV主観映像を交え"演劇中に事故死した者の過去"と"演劇を中止させようと画作する者たちの現在"を通じ20年越しに呪われた舞台の幕が開くモキュメンタリな心霊映画!!まず実際,監督は本作を演じた俳優陣に対し"実際の事実に基づく題材"だと俳優陣に偽り"フェイク記事"や"Webサイト"を偽装し撮影に挑んだ,という撮影姿勢に好感が及んだ。本作を2,3度観返し改め襲われる理由orあそこまで制裁を浴びる理由込め"若者側に非がある"映画だなと。また宗教色が抑え気味に配されていた構造は好感触。原題「The Gallows」は"絞首台"を指し邦題の自爆加減は言わずもがな同様。先に本作。結論を放り投げれば,捉え方次第で皮肉にも惜しい作品!!でしたね..まさに"親の因果が子に報う"救済余地が狭き酷な構造だと。更に"あの絶望的なシナリオ"も実はどの地点迄が計画通り⁉︎でどの地点が偶然⁉︎or実の黒幕が何故..⁉︎な最短で感じ取れる疑問が私自身は(この映画)非常に不親切な構造だと思えた。ただ開幕と終幕の台詞「セフィ・ニ(おしまい)」を交えた円環構造は見事な場面配置だと感服しましたが。あと配給会社ワーナーのロゴ全体に赤みを帯びさせた演出が形式的に憎い。

まず本作。お話自体を過去軸と現在軸の2極に分離し整理し直す事が出来る。まず過去軸では1993年演劇の上映中にある舞台役者(チャーリー)が装置の誤操作により不遇にも事故死した(開かずの)事実。もう一方,現在軸では事故以降で20年経過し現在に至る若者が20年前と同じ舞台を一切改変を加えず踏襲,するがその計画前夜に縁起が悪い事から深夜の学校に忍び込み舞台セットを破壊するという暴挙を計画する現在軸。つまり両軸を繋ぐ接点自体は"舞台「絞首台」の題目"と上演舞台が"同じ学校"という設定以外は確か中盤以降まで中々明かされない為,話自体が軌道に乗る速度は割と遅め。また若者側が破壊目的,以外に狙われる真の事実が発覚しても,コレは脚本の導き方の問題だと思うんだが事実に目を背き無関係な方向にグングン話自体が進んじゃう構造。要は(心霊側に)隔離され狙われる原因の核心部が表面的に露呈(認知)したにも関わらず,むしろそれにはほぼ触れず事実を無視するかのよう単に火災報知器を鳴らす,屋根裏部屋に逃亡,警察頼りで解決策を若者側が一向に画作せず,など退屈な逃亡劇が単に持続してしまう。実に勿体無い。まあ導き方自体の問題なんですけどね。可能性を示唆させといて不発かよって感じは否めないですよアレでは。

演出面で観客の怖がらせ方でも主にフィジカル面とメンタル面から刺激を誘発し恐怖を煽る演出。実際"ハングマン=チャーリー"で本質的な解釈は間違ってないかな。まず間接的には迷い込んだ部屋でTV映像が突如再生され20年前の忌まわしき事件を報道する映像が宣戦布告なよう突如流れ出したり電波障害や携帯バッテリ消耗,壊した物が再びその場に舞い戻ると再生されてる,などある。直接的には本作の核心部を担う"チャーリーの音"と称される演出。つまり突発的な何かの破裂音,縄や木が軋む不気味な音,途端に奥側で響く物音や照明の照らした方向に突如何かが画面を通過する..など。1番唸った場面が少女の首が徐々に赤みを帯び首絞めの暗喩と重ね合わすスローモーションな魅せ方。撮影技法も"POVの主観映像"と"スマホ専用の暗視アプリ"を通じ撮影側が状態に応じ交互に切り替わり暗転を催すよう連鎖的に画面(色調)が変化する演出。POVに関しては先にデイン・デハーン主演『クロニクル』で既に最高峰な演出を経験済なため本作に関しては特に提言する特質した箇所は正直ない。強いて挙げれば,持ち手が最後の最後まで顔を出さず実は..的なオチを含む転調までクリアしてれば提言なしで完璧だったかな。

概要。呪われた学校を舞台にPOV(主観映像)形式で描くパニック・サスペンス映画。監督は本作が初長編作品のクリス・ロフィングとトラビス・グラフ。製作には『パラノーマル・アクティビティ』や『インシディアス』シリーズのジェイソン・ブラムや『死霊館』シリーズを手掛けるディブ・ノイスタッター等が名を連ねた。また本作は"現代版こっくりさん"と全米で称され「チャーリーゲーム」が世界を中心に大流行しました。

ただ,本作。若者側に感情移入を寄せ切れない部分も確かにあった。心霊(チャーリー)側を擁護するつもりはないが,(上述したよう)若者側に許容し難い非がある映画なのかと。つまりこの映画に登場する若者たち。自分勝手な理由で舞台装置を破壊したり演劇の台詞を軽はずみに口々に引用し罵倒したりと"過去の偉業(追悼)"に対し一切敬意を払わず身勝手な動機で弾劾してるようにも(解釈上)受け取れた。その報いを受け裁きが下る,という視点を衒う制裁なら一方的に敵側が悪!!とは決め難いのではないか。私自身は感じた。つまり,口頭で糾弾する行為自体は,いくら声高々に叫び狼煙を上げてもいいんだけど,実際それを具体的な行動に移し(過去を)弾劾したり侮辱する行為に手を染めてしまった事で(映画的orモラル的側面な意味でも)一定の境界線が揺ぎ制裁を下される事を踏まえれば絶対的に若者側が善!!とは決め難いなと。まあ破壊目的で実際に行動を移す若者内でも1番悪い奴はご想像通りな顛末を迎える訳ですが笑,他3人の立場(視点)を考慮した時に巻き込まれ感が拭えず現状やり切れないなと。脚本の導き方次第では異例な佳作にも成り得ただけに実際は脱出劇1本に舵を切ってしまったので選択肢的にはやはり名残惜しく未消化感が良い意味で残る映画なんだと思いましたね

物語内でサイレンが鳴り止まない話の切り口もいくつか存在した。例えば,序盤,1993年版オリジナルキャストでアイツ以外の人物が登場しないのはミステリ的に逆にミスリードな類推を安易にさせる場面では?..とか1箇所鍵が壊れた扉の設定も特に伏線的には..や通信機器が電波傍受されてる設定もアレをやるなら第三者をあの舞台に投入させないと意味合い自体の根拠が薄れ曖昧だなと思いました。

総括。
首吊りが題材なホラー映画!!と高を括ればそれまでなんだが,実際20年間過去との距離を取り因果が報い現代の若者が途端に巻き込まれる,という整合性の取り方が実にリアリズム寄りで構造的に的確だと思えた。実際の撮影場所も心霊スポットで敢行されたみたいで不可解な怪現象も現場では相次いだみたいですね。後々考え話の内容で少し核心部に触れるが,主役の父親を舞台に投下させるべきでしたね。当事者不在の構造で単に敵側のやりたい放題な降下感はやはり後半部特に拭えず否めない。舞台のプログラムを1993年版から一切手を加えず"ある人物"が構想し再現したんならその時点で真の黒幕が露呈されるミスリードも同様。また1993年版オリジナルキャストの"ある人物"が序盤インタビューで「毎日来て同じ席」や「あの頃から立ち直れない」など発してる時点で大体の推測はついた。監督は撮影時に実際OPチャーリーが絞首台事故の1993年再現場面でエキストラから本物のリアクションを得る為に本当にチャーリー演じる役者が事故死したと見せかけエキストラを騙し本物のリアクションを得たなど笑えない監督のお茶目さも同様だなと。最終的には年の瀬にこのような低予算なホラー映画に夢中になれて映画好きとし本望であり感無量。手軽に満喫できる低予算映画としては監視後にいろいろ場面の意図を観た者同士で模索し楽しめる分,2,3度スルメ感覚で楽しめる映画なんだと思います。深い闇が横たわる20年目の節目に演劇「絞首台」が再演される意図を感じて頂きたい。残虐描写は期待外れで全編ロープ地獄な映画なので実際観る時は首回りを確認し挑む事がお勧めです!!