TOSHI

ザ・サークルのTOSHIのレビュー・感想・評価

ザ・サークル(2017年製作の映画)
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もしも1980年代以前の人が、突然現代にタイプスリップしたら、一番驚く事は、誰もが携帯端末を持ち、めまぐるしく他人とコミュニケートしている事だろう。かつて電車内に多くいたマンガ雑誌を読んでいる人が殆どいなくなり、殆どの人がスマホを見ているのは、インターネットでのコミュニケーションが、マンガ以上のエンターテインメントになったからだ。SNSの登場でそれは加速し、インスタ映えや「いいね」のために生きているかのような人が少なくなくなった。このような状況が更に進んで行ったら、一体どんな世界になるのか。まさに、そんな怖さを提示した作品だ。
メイ(エマ・ワトソン)は、水道会社のコールセンターで働き消耗する日々を送っていたが、友人アニー(カレン・ギラン)の紹介で、あらゆるサービスをワンストップで受けられる、世界最大のSNS「トゥルーユー」の運営会社・サークルに就職し、カスタマーサービスを担当する。
誰もが憧れる最先端企業の、社員IDに反応して挨拶してくるエレベーター内の映像や、豪華な設備に驚くが、健康診断では特殊なブレスレットを装着する事で、健康状態が全て把握でき、多発性硬化症の父親まで施術してもらえた。
そして設備以上に、常時周りから見られていて、情報発信による同僚からの「いいね」獲得が評価と連動する等、SNS上での評価が全てで、それによってランク付けされるという社内規律に驚く。
常に見られている事を意識して、アクティブに振る舞い、プロフィール情報やプライベート情報を発信・更新し、広大なキャンパスでのパーティーやイベント等コミュニティ活動への参加が、半ば強制化されている社風は、一見自由で楽しそうだが、引いて見ると本当の意味での自由は無い、管理された恐ろしい世界だ。
創業者であるCEO・ベイリー(トム・ハンクス)の、世界中の出来事を簡単にシェアするための、SNS用超小型カメラ「シー・チェンジ」の社内発表会。壇上のベイリーと聴衆である社員達は、気軽に声を掛け合うが、これも客観的に見ると、一人のカリスマとその信者達のようで、カルト宗教集団のような不気味さが漂う。表面的には和気あいあいとしていても、誰も集団としてのミッションを疑わず、原理主義的に突き進んでいるという意味では、似た危うさがあるのだ。
トーンが明確に変わるのは、メイがパーティーで出会った、実はトゥルーユーの開発者である、タイ・ラフィート(ジョン・ボヤーガ)から、ある秘密の場所に連れて行かれ、警告を受ける場面だ。サークルの企業としての危険性が、顕在化する。
メイは幼馴染のマーサー(エラー・コルトレーン)が作った、鹿の角のシャンデリアの写真をSNSにアップした事で、マーサーを“鹿殺し”と言う誹謗中傷の的にしてしまい、「君の世界の一部になりたくない」と別れを告げられる(後半に、マーサーが鍵となる)。        
気分を変えようとしたメイは、趣味のカヤックで転覆事故を起こすが、シー・チェンジのおかけで助けられ、ベイリーの目に止まった事で、24時間カメラを装着して自分を完全透明化する、新プロジェクトに起用される。1千万以上のフォロワーを獲得し、インフルエンサーとなるが、そんなプライバシーが全く無い生活が問題なく続けられる訳もなく、メイの目線で全てをシェアされる事で、両親・友人の信頼を失い疎遠になったり、唯一カメラを止められるトイレの三分間に、働き過ぎで憔悴したアニーと秘密の会話をしたりする事になる。
メイはサークルの理念や透明化の素晴らしさに更に心酔していき、会議で全ての人にトゥルーユー登録を義務化する事を提案したり、監視カメラとSNSネットワークを組み合わせた人力サーチ「ソウルサーチ」を推進する。ソウルサーチの公開実験によって、あっという間に、身分を隠して労働していた犯罪者が特定、逮捕される描写は圧巻だ。そして、悲劇が起きる…。
最終的にメイが取る意外な行動で、サークルの企業としての危険性は解決されたかに見える。しかしメイが悲劇に遭遇しても、透明性を肯定し、人と繋がる手段をSNSに求める考え方には、全く変化がない事に戦慄を感じる。本作には三回、メイがカヤックに乗るシーンがある。人との繋がり(SNS)を一時的に断って、自分だけの時間を過ごす意味を託していると思われるが、最後にはそれもSNSと融合しているのだ。

近年、自分の居場所はインターネット上だと考える人が増えているようだが、誰でも人には言えない秘密があり、もう会いたくない人がいるものであり、自分の全てをネット上でオープンにし、分け隔てなく、より多くの人と繋がる事を強制されるとしたら、それはやはり恐怖社会だろう。そんなあり得る近未来の怖さを、突き付けてくる作品だ。  
テーマが先鋭的過ぎるのか、メイの行動原理がやや不可解で感情移入がしづらく、分かりやすいカタルシスが無いからなのか、アメリカでは興行成績が振るわなかったそうだが(初めて大作を任された、ジェームズ・ボンソルト監督の今後が心配だ)、インターネットでのコミュニケーションが、現実のコミュニケーションより重要になりがちな現代社会の異様さに、一石を投じた作品として試みを支持したい。
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