いや、もうね、劇場で泣きました。シャマランの完全復活、堂々たるシャマラン節がうれしくてうれしくて。
シャマランの姿勢はシンプルだ。「映画を信じろ、物語を信じろ、自分を信じろ」である。
この映画は、心に傷を抱えた姉弟が、ドキュメンタリー映画を作ることを通して、自己を見つめ直し、自らを許し、受け入れていく過程を描いた物語だ。
序盤でタイラーが繰り出すラップ。その内容は「女の子はみんな俺に夢中」というもの。ベッカが指摘するように、これは虚勢にすぎない。しかし、タイラーは虚勢をはることでしか現実と向き合えなかった。父が去る前に犯したある失敗。それがタイラーを苦しめている。潔癖症の描写も、彼の心の傷を浮き彫りにしている。
タイラーよりはずっと大人に見えるベッカも、実は自分を見失っている。タイラーによるベッカへのインタビューで明らかにされる彼女の秘密。この場面でのクローズアップは見事で、胸が苦しくなる。ベッカもまた、自分たちを捨てた父を許せず、怒りを胸に潜ませて、苦しんでいる。
このように、心の傷を抱えた二人が、最後のバトルでそれを振り払い、敵に立ち向かう。特に傷口に文字通りのクソを塗りつけられたタイラーの反撃に涙が流れた。これぞシャマラン。自分を信じて闘うタイラーの姿はシャマランそのものだ。映画が、物語が、自分が世界を変える。シャマランの熱い魂はエンドロールのタイラーのラップにも刻まれている。
もちろんスリラーとコメディを行き来する出血大サービスのアグレッシブなPOV演出の見事さ、カメラを持つことに違和感を持たせない展開と素人のドキュメンタリーらしい画作りなど、テクニックも素晴らしい。何でもないことでもサスペンスにしてしまうシャマランの天才的センスが存分に発揮されている。
しかし、わたしは、シャマランが描く物語に込められたメッセージこそ、最も大切なのだと思う。ウィル・スミスの「オレサマ」映画になってしまった『アフター・アース』ですら、描いていることは同じなのだ。シャマランが原案を書いた『デビル』だってそうだ。
「『シックス・センス』とくらべて……」「どんでん返しが……」「シャマラン(苦笑)」etc.
そんなことしか言えない人は、『シックス・センス』だけ観て、「よくできているね」と笑い合っていればよい。
こんなに映画の力を信じているシャマランを、わたしたちが信じなくてどうするのだ。