50カット程度がモチーフごとにまとめられている。ホテルのロビー、エレベーターの内外、部屋、廊下、屋上からのショット。
動きのある人の画は前半にまとめられ、エレベーターの中から入ってこようとする人々の様々な様子を捉える。
部屋においては特に固定画面のショットが続き、中の人はほとんど動かない。
その後の廊下ではカメラの動きや、なぜ動いたかわからない画面端のドアで動画であることがわかる。
ラストは屋上から他のビルを捉えたショット→曇天を映すことで白く飛んだ画面→曇天画面の前とは異なるビルのショットというようにおそらく持続されたショットのまま終わる。(給水槽はベッヒャー夫妻の写真を想起させられる)
『東から』『家からの手紙』を鑑賞していればこの作品がそれらの映画の嚆矢となっていたことがわかる。
もちろん眠くはなるのだけど、カメラが動く瞬間、カットが変わる瞬間の驚きと同じ画面を見続ける行為から自分の内側に現れる感情に向き合うことは特別な時間だと思う。
それは受動的に見せられる「写真」とも言えるかもしれない。