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シン・エヴァンゲリオン劇場版の会社員のレビュー・感想・評価

5.0
TVシリーズが放送されてから約25年。日本を代表するアニメ作品となったエヴァンゲリオンシリーズが、遂に完結した。
本作のネタバレは一切無しで、シリーズを総括する形で思いの丈を述べたい。



主人公の碇シンジは、従来のロボットアニメに見られるヒーロー像とは異なり、思春期の少年の複雑な心の動きを体現する存在であり、他者とのつながりにおびえるその弱さが、特に旧劇場版では物語の中心に描かれていた。ATフィールドというものをモチーフに他者との関わり方を問うたのである。
人と人との間には見えない壁が存在し、それは時には他者を傷つけてしまいさえする。しかし旧劇場版では、精神補完の過程の中で人々の間の差異やそれにより生じる葛藤を受け入れることを選び、赤い海辺での創世記的ラストシーンに帰結した。

TVアニメ版の最終2話とその後の映画化の一連の流れは有名であるため省略するが、我々は”ロボットアニメ”としての迫力や主人公たちの勇敢な姿に興奮する一方で、庵野監督の提示する世界観を何とか解釈しようと躍起になり、一大ムーブメントを引き起こした。
折しも新自由主義が世界を席巻しテクノロジーが発達する中、その近未来的描写にロマンを感じると共に、他者との関わりという点で現代社会の本質的脆弱性を鋭く衝いたこの作品を、単なる娯楽として受け流すことができなかったのである。少なくとも私はそのうちの一人だった。



その後、遅々として進歩しないアニメーション界へのアンチテーゼの意味も込めて、旧劇場版をリビルド(再構築)する計画が始動した。
しかし「序」「破」「Q」と、作品を追うごとに公開の間隔が広がり、また内容も旧劇場版とは乖離していった。必ずしも全く異なる方向性ではない、しかし次から次へと謎が生まれ、その謎について考える間もなくまた新たな謎が産み落とされる。それでもそれぞれ単体の作品としても魅力的なものばかりである。

また21世紀に入り、社会のデジタル化は加速度的に進み、映像作品の在り方も大きな変化を経験した。すなわち、過去に放映された作品を実質無償に近い金額で手軽に視聴できる環境が急速に整ったのである。
当然熱量の高低はあれど、25年間にわたって幅広い支持層を獲得し、また獲得し続ける、未完の伝説的アニメーション作品へと昇り詰めた。

特に近年の傾向として特筆すべきは、良い作品を作るためには時間や費用を惜しむべきではなく、ファンもそれを首を長くして待つべきであるという風潮が強まったこと、また、知識を自由に発信できる基盤が整ったことから、ファンによる独自の解釈や考察が良くも悪くも溢れ返り、ある面においては解釈が深化する一方で、権威を伴うほどの統一的見解に達することが遂になかったことがあげられよう。



さて、ようやく本題に入ろう。
新型コロナウイルスの拡大に阻まれながらも、一方で記述の通りファン層を拡大し続け、待望の完結編として公開された本作。
「Q」での飛躍をトラウマとしていた我々は、謎が多く存在し、また本当に完結するのか不安に思う節があったのではないか。その心配は杞憂に終わった。一般人の考察など必要がないほど、すべての伏線を回収しきったといえよう。
レビューを書くのもおこがましいほどの見事な作品であった。必ずしも説明的で単調というわけではなく、約3時間という長さを感じさせない。

かつて旧劇場版では個人の内面世界を中心に据え、主人公の成長に世界の命運が託された。それをリビルドし、セカンドインパクトから14年が経った世界を描いた「Q」。その間に人間は年を重ね、世界も変化した。それは、アニメの中も現実世界の我々も、そしておそらく監督自身の考えも同じである。物語のテーマが明らかになるにつれ、またさまざまなシーンを見るにつけ、感慨深い場面が多い。

親子の関係や大人になること等、一個人の内面世界では必ずしも描き切れない範囲まで包括して描き切った本作品は、25年前と同様現代社会への鋭い問題提起としての要素を我々に残し、終劇を迎えた。
まさに現代の神話ともいえるエヴァンゲリオンシリーズ。ぜひ今、このタイミングで映画館で見るべき作品であった。
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