VANVAN

シン・エヴァンゲリオン劇場版のVANVANのレビュー・感想・評価

4.9
「人類の命運を掛けた親子ケンカではなく親子対話する物語」

<あらすじ>
カヲル君の死のショックから立ち直れないシンジ。
サードインパクトの生き残りの村に行く。
同級生が生きていてみんな成長して大人になっていて置いてけぼりを食らうシンジ。
なんだかんだ立ち直って綾波が液体になって加地さんの息子に会って
もっかいヴンダーに乗船して親父の計画を止めに南極に行って
なんだかんだあってお父さんと対話して最終的に現実世界に戻っていく。


<シンエヴァンゲリオンとはなんだったのか>
やり直しの物語、なにをやり直すのかと言うと「他人との関わり合い方をやり直す物語」である。
だからシンジは最後のシーンで全員と対話をするし、ゲンドウとも対話による決着を望む。
最後の決着が対話ってほんとエヴァらしさが全開だ。
エヴァがただのロボットアニメなら許されない決着だが、エヴァはロボットではない。
いやアニメですらないと私は思っている。
もっと人としての根底に突き刺さってくる宗教みたいなものだとも思える。
生きるってなんだ、人ってなんだ、人生ってなんだ、という禅問答のような世界にも似た感覚を覚える。
エヴァってなんだ?という問答は今後の人生にも付きまとってくるだろう。


<私とエヴァの関係>
テレビシリーズをリアルタイムで観ていました。当時は小学校5年生で友人で観ているのは学校にはおらず
塾に一人だけいた男の子でした。あとはうちの兄くらいなものでした。
テレビシリーズ以後、劇場アニメ(Airまごこころを君に)は受験勉強が忙しく鑑賞できませんでした。
鑑賞した兄が魂を抜かれたような顔をして帰宅したことにショックを受けました。
後にレンタルでAirまごこころを君にを観て私も同じ思いをしました。
それが僕ら兄弟にとってエヴァの呪いに取りつかれた瞬間でした。
兄はその後シンジ君さながらに周囲と壁を作り社会性をなくしていったように思います。
当時はそんな思春期男子が20万人くらいはいたと思います(勝手な体感)。
大人になってもその呪いは解けることなく、なんとなく心の奥底に沈めていたように思います。
そして新劇場版の制作が発表され、もしかしたらこの気持ちをどうにか昇華できるのではないかと期待が高まりました。
序、破とエンターテイメントとしてエヴァが進化していることに心躍りました。今でも破の劇場版を観たあと、なんの舞台挨拶でもない普通の回にも関わらず拍手喝采したことを今でも思い出します。
そしてQが公開されたあと私はまた崖から突き落とされたような気持ちになりました。
20歳を過ぎてもやっぱり大人になれていない自分を突き付けられ、それにショックを受けている自分にまた嫌悪感を覚えました。
それからまた時はたちQの物語も自分なりに消化できるようになりました。30代になり創作物との距離感も上手く折り合いが付けられる年齢になったということもあるのでしょう。
それなのにシンエヴァンゲリオンの公開が決まった時は喜びと緊張感がありました。
そして公開当日その緊張感は最高潮になっていました。一人で観るのが不安でいい歳して友人を3人も誘って観に行きました。
果たして自分がどんな感情になるのか楽しみと不安で胸がいっぱいでした。


<シンエヴァンゲリオンを観た後>
(人によってはネタバレになるかも)
まず思ったのは「今回は槍でやり直せて良かったな」とwww
そんなどうでもいいことを思ってしまうくらいなんだか色々なものが晴れた気持ちで劇場を出ることができました。
「解放感」
まさしくエヴァの呪いからの解放であり、エヴァという長い思春期からの卒業だったんだなと。
(まあ最後がAirまごこころを君にの「気持ち悪い」から「現実世界で好きな人見つけろよ」に変わっただけなんじゃないかなと言う気もするけどww)
↑でもこれも結局昔から好きな人の単なる被害妄想的な思考からでた感想なんだろうなぁ。

とにもかくにもこの映画は庵野監督の個人的な話に終始していた内容だった。
庵野はゲンドウ、シンジに自分を投影していたし、終盤の親子のやりとり内容は庵野の独白であり自問自答だったと思う。
(過去TV版ではゲンドウは宮崎駿で、シンジが庵野秀明の関係を投影されていたと思う)
そして観ている人に同調することを強いられていた。少なくとも思春期の頃にエヴァに触れた人にとっては。
しかしながら自分が年老いたこともあり冷静に親子のやり取りを見守ることができた。
この世界が終わってしまうことの寂しさとありがとうの気持ちが押し寄せてくる。
旧劇世界をも救うその姿勢に感服した。

個人的には終盤にやっと出番だと張り切って出てきて補完計画を実行しようとしたカヲル君に、
「お前もシンジ救いたいとか言ってるけどただのエゴじゃん、自分が救われたいだけだろ」と言われて退場するカヲル君が面白かった。
ここまで完璧な存在だったカヲル君がやっと人間的な魅力が出てきて愛せる存在になったなと。


ラストの実写は面食らった部分もあるけど、あれはあれで良かったと思う。
どこまでもエヴァという映画は監督の個人的な話で、それをみんながあーでもないこーでもないと言いながら
楽しませてもらった25年だったんだなと。
本当にお疲れ様でした。さらば!!

追記:
鑑賞後1日経ってっパンフレットを読みながらひとつのことを思い至った。(特に三石琴乃さんのインタビュー)
この映画自体が槍だったのだ。
希望でも絶望でもなく、意志(WILL)の槍ガイウスなのだ。
この映画が小さなヴィレの槍となって世界中のかつてシンジだった人、今もシンジな人の元に届けたいという想いがあったとのだと思う。

現実はいつも辛く厳しい。東日本大震災やコロナウィルスなど今なお世界は混迷を極めている。
それはかつて阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件などを体験した旧エヴァ世代と重なる。
先の見えない不安と葛藤を抱えながら生きている全ての人たちにこの作品が意志を持って進んで行く糧となることでしょう。
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