とむ

シン・エヴァンゲリオン劇場版のとむのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

庵野秀明の自叙伝・私小説として描かれ始め、四半世紀という刻を経ることでもはや庵野だけのものでなくなってしまった新世紀エヴァンゲリオンは、本作でそれら"全て"を肯定する形をもってしてその幕を閉じた。

"全て"というのは、
「今度こそ」という期待を一身に受けて再起動した「序」や、絶賛の嵐だった「破」ばかりか、その反動が如く賛否両論あった「Q」などの「新劇場版」は勿論、テレビ版のボロボロの最終回や旧劇場版もそうだし、
果ては周囲の人々(多分「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」のシーンで映し出された猫と女性は、飼い猫と奥さん(安野モヨコ)なんだろうな)全てを巻き込んでの「全肯定(しかも間接的とかではなくかなり直接的)」であり、もはやそれを拒む術も必要も我々にはない。

それは、25年という歳月を経たからこそ生まれた意味だと思うし、
多くの人を巻き込んだからこそ、この「自分語り」が許されたんだと思う。

庵野秀明が、ちょっとだけ前に進む話。
ありがとう、全てのエヴァンゲリオン。


小難しい話は抜きにして、間違いなく傑作でしたね。
十年に一度あるかないかって言われる「僕の人生を変えるだろうな」と思った作品が最近一本あったのですが、
この作品も間違いなく、今後の僕の進路をぐりんと捻挫しにかかってきました。

その方向は多分。
いやきっと、絶対正しいものなんでしょう。
庵野が一歩進んだんだ。
僕たちも一歩進まなきゃね。
頑張って生きます。


余談ですが、かなり冒頭の方でケンスケ宅で寝ているアスカの鼠蹊部から少し浮いた下着の描写にただならぬフェチズムを感じました。
ありがとう、全てのエヴァンゲリオン。
とむ

とむ