カルダモン

シン・エヴァンゲリオン劇場版のカルダモンのレビュー・感想・評価

-
じんわり。なんだろう、これまでエヴァンゲリオンに対して割と冷めた感じでいたのに最後の最後になってこの気持ち。私自身TVシリーズ放送時はシンジと同じ中学生というリアルタイム世代でありながら、さほど熱狂することもなく、それでいて興味がないわけでもないといった温度感で、割と負い目があったりします。

あれよあれよと25年。観に行くつもりなんてなかったのに、劇場に足を向かわせたのは先日のNHKプロフェッショナルを見て、庵野秀明に俄然興味を持ってしまったから。たぶんこの放送を見なければ劇場鑑賞はしなかったし、のちにソフトなり配信なりで観たとしても評価の根本が違っていたように思います。特に庵野監督と父親との関係、あるいは妻である安野モヨコの存在はエヴァンゲリオンという作品にとって必要不可欠な要素だったんだと理解しました。大人になることについて描いた作品は、監督本人が大人になれなかった姿を見ているようだった。


私の中では「解脱、成仏、お焚き上げ」という言葉が浮かんでくるんだけど、それは作品の性質が庵野秀明の超個人的な我儘の上に成り立っていたからなのでしょう。すべては作品の為に、自分の中から生まれたものではなく、他者の目と手を借りて本質を掴もうとするやり方。詰めたと思った矢先にゼロからやり直したいと言い出す。その死屍累々、描かれなかったものの上にある残った2時間半。そう思って見てしまうと作品としてはちょっと重い。


生み出した人間と生み出された作品は簡単に切り離すことができずに何度も何度も反芻した結果、TVシリーズ、旧劇場版、新劇場版と、何度となく破壊と構築が繰り返され、その度に右往左往の七転八倒だったわけだけど、改めて過去作を見渡してみると全部含めてのエヴァンゲリオンだったなってことを実感しました。

お疲れ様でした






以下ネタバレ含めた余談














私にとってエヴァンゲリオンの魅力はキャラクターよりも、どちらかと言うと特撮的な使徒のデザインや街の造形など人間以外の部分に感じることが多く、フォントや音楽の使い方であるとか、そういう世界観を作り上げるディテールの方に目が向いていた。山と田んぼ、鉄塔と電線、日本の風景などなど。あるいは今現在の地方の風景がどんな様子であるのか、という描写。家出をしたシンジが辿り着いた廃墟の描かれ方は原発の建屋にしか見えなかったし、周囲をコア化した赤い世界に囲まれた第3村は避難区域に立ち入れない震災後の東北の姿にしか思えなかった。おそらく製作側にそんな意図はないんだろうけれど、風景ひとつ状況ひとつで物語の実在感を感じるのはキャラと同じくらい自分には大事な要素だった。

一方でブッ飛んだ表現、今回はパリの街が要塞のように変形しますが、戦艦がぐるぐる空中を旋回してたり、足だけのエヴァがラインダンスみたいに横一列の隊列で迫ってきたり、陽電子砲を神輿みたいに担いでいたり、アートディレクションが狂っていて最高だった。あの冒頭パートはエヴァンゲリオンの数ある戦闘シーンの中でも突出して楽しい。8号機を大型トラック的に運転するマリの勇姿もカッコ良かった。『ふしぎの海のナディア』の第一話をなぞる様なエッフェル塔と発電が凄まじいパワーアップを遂げていて感動ひとしお。


しかしシンジは幸せだな。これだけ迷惑をかけながらもしっかり支えられてる。しかも最後に父親との腹割って話すことができて。ていうか幸せなのはゲンドウの方なのか。息子の成長を見ることができて。叩く背中があるだけで幸せだなって思うよ。「大人になったな」ってあんたが子供なだけだし、その口が言う大人になるってどういうことなんでしょうね。


アスカもミサトもリツコも全員なにかが欠けている中で欠けてるものを補完し合う。それをして人類補完計画と呼んでもいいと思う。