shibamike

ぼくの伯父さんのshibamikeのネタバレレビュー・内容・結末

ぼくの伯父さん(1958年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

ユロ妹「兄さんに欠けているのは人生の"目的"(家庭や仕事)よ。」

と、妹夫婦は中年独身無職(←確かにヤバいか、童貞かどうかは不明)であるユロの心配をするが、妹のこの台詞を聞いた瞬間に自分の中の鈴木雅之が「違う違う、そうじゃ、そうじゃない」と突然喋り出して、自分の中に鈴木雅之が居て自分は驚いた。

鈴木雅之の言う通り、違うんである、そうじゃないんである。ユロに人生の目的は欠けてなんかいないんである。
ユロの人生の目的は、年がら年中ボロいコートと可愛い縞の靴下を着用すること、アパルトマンの少女の鼻をツンと小突くこと、小鳥をピイチク鳴かせること、チャリバイでジェラールと2ケツすること、など楽しい日常の幸せ、人生の目的だらけでなのある。

と、自分が勝手にユロを弁護したところで別の鈴木雅之が「違う違う、そうじゃ、そうじゃない」と自分に向かって言い放ち、ポカン。あれ?違うの?

…ユロに人生の目的なんて必要ないということ?引いては我々人類に人生の目的なんて必要ない?そんなの幻想ということ?
と自分が思考錯乱した所で3人目の鈴木雅之が「違う違う違う違う、そうじゃない!」とサビを絶唱して自分を全否定。「あ、違いましたか…増員せずに1人で言ってもらえませんか。」と自分も不愉快に。3人の鈴木雅之は静かに頷いて、霧立ち込める早朝のパリに消えて行った。め!!!



洗練され高度化していく社会。世の中の流れは有無を言わさず、あらゆるものを呑み込んで突き進んで行く。
高層ビル、機能性を追求した殺風景な建築、効率偏重の工場と勤め人。
そういった雰囲気を「息苦しくない?」とタチがちゃかして笑い飛ばす。

3人の鈴木雅之が消えて行ったパリ下町の早朝。数匹の野良犬が食いぶちを求めてちょこまか走り回る。
薄汚い野良犬に混じって綺麗なおべべを着た犬畜生が一匹。こいつだけ飼い犬。しかも、大きな家で飼われていやがる。わざわざ薄汚い野良犬なんかと遊ばなければ良いのに。

パリの路地裏。薄汚いクソガキどもが大人にいたずらをして遊んでいる。薄汚いクソガキどもに混じって綺麗なおべべを着た少年畜生が一人。名前はジェラール。こいつもやはり大きな家に住んでいる、というか犬畜生と同じ家の住人。
わざわざ薄汚いクソガキどもなんかと遊ばなければ良いのに。
それでも犬畜生と少年畜生は綺麗なお家を飛び出して、崩れ掛かったレンガの壁や草むらを駆け回る。
大きくて綺麗な家がほとんど機能重視の工場みたようなため、犬畜生と少年畜生は家が好きじゃないのであろう。

ジェラールの両親(ユロの妹夫婦)は人も羨む立派なハイカラ建築に住んでいる。最新鋭の家具・調度品・キッチンがビシッと揃えられており、自動で稼働するドアや装置など無駄を極力省いてもいる。ほとんどカタログから飛び出てきたような家(魚の噴水だけは特注であらう)。住むという目的に極端に特化した家というか工場。
とはいうものの、このハイカラ建築、結構イカシテおり、レトロだけでなくハイカラ建築もいけるタチ、恐るべし。ちょっと建築勉強してみたくなったぜ(しないけど)。
この妹夫婦が住むハイカラ建築が本作で大活躍。

ある日曜日に妹夫婦は会社の同僚や近隣住民を招いてホームパーティーを開くのであるが、非常に面白くてギャーギャー笑った。
このハイカラ建築の代名詞とも言える「魚の噴水」。趣味の悪さが絶妙である。ありそうと言えばありそうだし、無さそうと言えば無さそうなオブジェ。この魚の噴水はしつこいほど登場し、中盤以降は我々に親しみが湧く不思議。キーホルダーあれば余裕で買う。
ホームパーティーでユロ伯父さんは通常通りポンコツぶりを発揮して、笑わせてくれるが、一番強烈だったのは、靴に入った水を2階の丸窓から捨てるシーン。"よりによって何故!"とゲラゲラ笑わずにいられなかった。ただのアホにしても想像の斜め上を行っている。

枝の長さをアシンメトリーにしてしまうギャグは不要では?と思ったが、深夜にスパイごっこと丸窓がギョロ目になるという超素敵な仕掛けが楽しめ、必要だったなと納得。

プラスチック工場でのドタバタはボチボチであったが、工場シーンにおけるぶっちぎりのMVPホッピング社長秘書のユニークぶりがすべてを忘れさせた。真似したくなる歩き方。

ラストでは、何もかも変わって行く無情と希望が映し出される。アパルトマンの少女は急に大人っぽくなり、ジェラールと父も関係良好に、ユロは遠くへ旅立ってしまう。ただ、野良犬達は変わらず元気に街を走り回る。

本作は、古き良き時代と来るべき近未来が同居する映画だと思う。古き良き時代なんていうのはどこにも存在せず、いつの時代にも暴力や悲しいことがあったと思う。古き良き時代は結局、作り手のノスタルジーやセンチメンタルが作り出した幻想でしょう。それでも、作り手の優しさや感性が素敵であれば、我々がうっとりするものが観れると思う。本作ではまさにうっとりした。"あんな家に住んでみたい。自分にもああいう子どもの時があった。明日からはもう少し人に親切にしよう。もうちょっと笑顔になろう。"とか温かい気持ちになる映画であった。パリの風景にはギターと笛とアコーディオンが本当によく合う。サントラ買う。

少年畜生ジェラールが悪ガキ達に仲間に入れてもらうシーンとかで心がぶるぶるっと来たし、汚い屋台で買った揚げパンにパクつくのとかも微笑ましい。
ユロとジェラールの2ケツシーンが一番グッとくるシーンであった。世間的にはダメなおっさんに少年畜生が非常になついている。タチの幼少期が本作のようなものであったのか、それともこういう幼少期を過ごしたかった、子どもの頃、こういう大人が側に居てほしかった、という願望なのか気になる。いずれにしてもジャック・タチ、素敵な人である。濡れた。目頭と股関が激しく濡れた。

世の中は綺麗な建物ばかりになっていくだろうけど、取りこぼしたようにボロボロのレンガの壁やレトロ建築も少しくらい残る。人間も同様にスマートなインテリジェントヒューマンが増えるであろうけど、時代に取り残されたレトロヒューマンが存在し続けると思う。レトロな建物、人間が不要かと言うと、それらや彼らにはかけがえのない魅力があるはずである。

楽しかったタチ映画祭もあっという間に終焉を迎え、帰り道、表参道を歩きながら涙がポロポロ。すると、「泣かないでぇ~♪泣かないでぇ~♪」とダンディーな歌声が聞こえ、パッと振り返ると、舘ひろしが「泣かないで」を熱唱。"タチ"違いであるが、泣くのはやめて明日からまたはいずり回って生きていこうと決意。直後に、原宿のチーマーにオヤジ狩りされた。

め!!!
shibamike

shibamike