しゃにむ

神様の思し召しのしゃにむのレビュー・感想・評価

神様の思し召し(2015年製作の映画)
4.4
「神は教会にいるもんか。教会なんか狭過ぎるだろ」

『神はどこにでもいる。だがおれの髪はどこにもいない』 By St.Statham

↓あらすじ
文句ない幸せな家庭を築いた中年医師。心配なのは医学生の息子。夜な夜な男友達と出かけている。同性愛ではないかと疑い全て受け止めるつもりでいると息子が医師の道を捨てて信仰の道に行くと一大発表。内心では断固反対。しかし、可愛い息子に残酷なことを言い出せなくてやきもきする。そこで息子を感化した神父の集会に潜入することに。神父というのが風変わりな男。探偵に調べさせると前科のある男らしいが接してみると気さくで親しみやすい好人物。そんな折に神父が家に来てしまう。偽った経歴がバレる。息子にバラされたくなければ教会の修繕を手伝えとゆすられ、仕方なく手伝うことに…

・感想
自分ではうまくいってると思っていた日常は案外脆くて簡単に崩れてしまう…家庭崩壊を間延びしたテンポでコミカルに描く。それまで溜め込んでいたストレスが一気に跳ねっ返り別方向へ離散ファミリークライシス。自分ではうまくいっていたと思う。だけど仕事一筋で家族の不満を全然顧みなかった。家族に家族を演じてもらう偽りの幸福だったかもしれない。家族を養う父親としての役割を淡々とこなしていたら十分やって来たと親父は思うかもしれない。しかし、家族は血縁の繋がりはあれど孤独な個体の集合体。妻は母親であり女性である。長男は長男であり男性。長女は長女であり女性。家族の構成員として幸せなら本当に幸せか分からない。長男は医者の家庭に生まれ、何不自由ない生活を送り、父親と同じ医者の道を歩む。貧乏人が側から見れば幸せそうだ。しかし彼も独りの人間だから生き方に悩むこともある。信仰の道は個人の幸福追求の手段だ。医者の子だから医者にならねばならない決まりは無い。親父は神父と聞いて面喰らう。たぶん親父は長男を個人として考えたことがないのだろう。長男としての人間性しか見ていないから神父を夢見る気持ちが理解出来ない。口癖で「皆、心は一つ」と言っているが心はバラバラ。妻は家族から放ったらかしにされた恨みが爆発して政治運動にのめり込む。長女はヒステリーを発症する。あわや大惨事。家族崩壊の危機。無神論者の親父もさすがに心細い。家族崩壊の危機の要因を作った神父は驚くほどあっけらかんとしている。顔面蒼白の親父と野原にたたずみ独自の説法を説く。りんごが落ちるのは重力ではない。神の仕業だ。雲が流れるのは風のせいではない。神の仕業だ。何でもかんでも神の仕業だという。いつも不在に見えて神はどこにでも存在している。神は教会に引きこもっているわけではないのだ。神に見捨てられたような悲惨な一家にもどこかに神が潜んでいる。もちろん死神の可能性もあるけど見ているものは見ている。見放されたから…と絶望に忙殺されるのは止めよう。縁は円である。丸く収まる。悲観視しないでなるようになるからなるようになればいい。肩の力を抜いて風に流れる髪のように神任せ。
しゃにむ

しゃにむ