純

ハンズ・オブ・ラヴ 手のひらの勇気の純のレビュー・感想・評価

3.7
「愛」ではなく「平等」を手に入れるために闘った、同性愛者の実話。自身が同性愛者であることをカミングアウトしたエレン・ペイジがキャストとして、またプロデューサーとして参加している点に、胸が熱くなる。

この映画は、中年の敏腕刑事ローレルとずっと年下のエンジニアであるステイシーが恋人となって幸せな日々を送るも、ローレルの身が末期ガンに冒されていると判明する。ローレルは死後に自分の年金をステイシーに譲りたいのに、法律が邪魔してしまう。それでも他団体や同僚の支援とともに平等を得るため、フリーホールドたちに立ち向かう…という話。率直に思ったのは、伝えたいことをストレートにぶつけてくるな、ということだった。テーマもはっきりしているだけにわかりやすい物語になってると思う。何度も強調されるのは同性愛についてと正義について。前者に関しては、同性愛者のふたりの描写よりも、周囲の人間にスポットライトが当てられていた。つまり、ふたりの愛がどれだけ深いかではなく、理解のないひとたちの心ない対応だったり、助けたい気持ちはあっても社会的制裁が怖くて力になれないひとたちの罪悪感だったり、はたまた感情的には助けたくても政治的な判断を下す必要のあるフリーホールドたちの葛藤などがより押し出された演出になっている。その点は、あくまで個人的だけど、この映画における良い点だなあと感じた。私は、男性と女性で何もかも一緒である必要はないんだし、性別が違えばそりゃ違いがあっても良いのではって思うけど、その違いを口実に「男性、女性はこうあるべき」って考えになって、それが更に「男性、女性はこうでないといけない」って束縛のような観念になるのは良くないよね、と思う。強く思う。でも、そう思っていても、いざとなると拒絶してしまう。暴力や暴言という直接的な攻撃はしなくても、抵抗を覚えてしまう。そして毎回、「今、私が気味悪がってしまったことで、せっかく勇気を出して自分を見せてくれたあのひとが、どれだけ自己否定感を感じてしまっただろう。私の拒絶が、どれだけあのひとに屈辱感を抱かせてしまっただろう」と落ち込むという偽善者っぷりを発揮する。共感した、とまで言うとおこがましいけど、この映画に出てくるひとたちも少なからず何ならかの葛藤を抱いていて、同性愛者に勇気がいるように、周りのひとたちにも勇気が必要なんだということを教え、また肯定してくれている気がした。このときは支援者が少なかったから尚更手を差し伸べることは難しかっただろうし、「したいのにできない」弱さ、不甲斐なさもきちんと描かれているのは良かった。私はいまだに実際に偏見ゼロで相手に接すること、同性愛者を支援するための直接的行動を起こすなどのアウトプットは何もできていないけど、まずは知って、自分の中の気持ちと向き合うためにも、「知り合うはずのなかったひとたち」と間接的にであれ出会っていきたいという思いを持って、映画を観ているんだなと思い出した。

少し話がそれたけど、ふたつめの正義については、ローレルが警察だということと絡めて表現されていて、やはり「わかりやすさ」が際立っていた。正義のために生きてきた人間がなぜ正義を否定されるのか。これは特例でローレルの場合に言える意見ではあるけど、不条理さを理解させるには効果的な言葉なのかもしれない。正義に対しての主張がなされるときは特に「多くのひとに知ってほしい」って感じが前面に出てるなあと感じながら観ていたんだけど、なんとこの作品、2007年にショートドキュメンタリーフィルムがすでにあった上での再構築という流れだったみたいだね。だから、このとき浴びるべきだった光をふたりが浴びる機会をもう1度作るに当たって、「伝わる」ことに重点を置いたのかなと思うと納得できる。

まあここまでは作成側が意図的に強調してきたことを素直に受け止めましたって感じだけど、私としては実は上記のことよりも別の部分で1番心が揺れたので、その点においても明記しておこうと思う。それは、「空間」「場所」の持つ力。これについてはここ1ヶ月特にずっと考えてきてたことで、それでもまだ考えきれてないんだけど、案外ひとの命よりも空間を失うことのほうが辛いこともあるのかな、って思うときがある。ひとと空間で言うと長生きなのは明らかに後者で、他者とともに生きていけば必ず誰かが残される。傷心する私たちを救ってくれるのは、いつだって空間なんじゃないかなあ。その誰かが死んでしまっても、生きてはいるけどもう一生会う機会がないほぼ死人でも、「この場所に行けばこのひとに会える」っていう空間はあると思う。空間では過去が生きることが可能で、場所はなかなかなくならない。この映画でも、ふたりが闘う理由はお金そのものではなくその先にあった。ローレルは「ステイシーにあの家にいてほしい」、ステイシーは「あの家にいたい」という、空間、場所への愛着があった。また、ステイシーがローレルの死後に思い出の場所を訪れるシーンでも、空間がひとにもたらす影響を感じた。少し違う話になるけど、『風とともに去りぬ』でも取り上げられているのは「土地」の持つ力で、主人公も最後にはそこに帰結するよね。土地だけはお前を裏切らない、っていう父親の言葉は当時の世界だけじゃなくて、現代にも普遍のものだと思う。愛するひとが死んでも、愛するひとと共有した場所でそのひととそのときの自分は生きられるし、一方でその場所から新しい生き方を再築することだってできる。

他で気になったのは、報道関係のことかなあ。Who cares?って、意訳ランキングトップ3には入る言葉だと個人的に思ってるんだけど、今回もすごかったね(笑)同性愛者を支持する報道がある、との言葉を受けて(このときに新聞名が台詞にある)言った台詞がこれなんだけど、文字数の関係上か、「新聞で同性愛への支持が〜」と「NYタイムズだろ」でまとめられてた。アメリカには様々な種類の新聞があって、内容もそれぞれで違うけど、NYタイムズは政治関係の記事でも自由に意見が述べられてて、同性愛についても肯定的なんだよね。異性愛者と同性愛者で何の差別もなく記事が掲載されるから、だから「NYタイムズならいつものことだろ、わざわざ取り立てることもない」ってことを言ってたんだろうと思う。NYタイムズの売りともなりうるリベラルな語り記事も、当たり前となりすぎると読まれるべきときに相手にされないこともあるのかなだとか、新聞のステータスというかオーソリティーも読者にその記事が「届くか届かないか」に影響があるんだよなあだとかを考えた(そのひとの新聞を読むことへの姿勢は無視するとね)。あとは、Who cares?だけじゃ字幕の文字数も少ないし、こういった他国への知識がないと分かってもらえない部分って訳に苦労するだろうな…とかも感じた。今回のはまだわかりやすいけど、複雑な異文化理解が必要な場合とか訳するひとも大変だ。

103分の映画だったけど、ローレルとステイシーが恋人となるまでがかなりあっさり描かれていた印象だし、もう少しふたりの関係を掘り下げて描いても良かったんじゃないかと思った。時間的に10分くらい延長しても良いだろうし。あ、エンディングで流れた実際のふたりの写真を見て、本当に忠実に作ったんだなあと作成側の思いの強さが見えたのもじーんとなる。

最後に邦題に文句を言って締めるのもなんだけど、エンディング曲をタイトルって強引すぎでは?(笑)Freeheldって原題は、Freehold、もしくはFree holderからきてると思うけど、内容的に絶対原題を考慮してつけたほうが良かった。ふたりが闘って、正義を手に入れたこと、当時の社会に打ち克ったことをしっかり尊重してあげてほしかったなあ。主演のふたりの演技力が高いだけに、伝わってほしいというメッセージが一生懸命発信されてる作品なだけに、残念な気持ちがある。しかしながら、何はともあれ、映画の日、ごちそうさまでした。
純