やっぱ映像がすごく綺麗。
19歳のビリー・リンは、イラク戦争の最中、仲間を助ける姿がたまたまカメラに収められ英雄とし名を馳せる。
一時的に帰国し凱旋ツアーで全米各地を回り地元に戻った彼は、次第に自分が英雄として扱われることに戸惑いを覚え始めるという話し。
で、ビリー・リンの心の変化をアメフトの試合のハーフタイムショーの中で描いていくという地味な映画です。
わたしは、そんなに戦争映画のドンパチが好きではないので、戦争を題材にしたこういう作品は好きな方。ただ、分かりにくかったなー。ビリー・リンの心の変化とか。。。
ハーフタイムショー辺りでやっとそういうことか。。。って思い始めたけれど、最後はまたよく分からなくなった。
1つ言えるのは、国を背負って戦う彼らの現実と国民達の現実は違う。特に現代の国を挙げて戦うというんではない戦争って、国民が常に直接的な危機にさらされているわけではないから、ある人には他人事にもなりえない。命を懸けて戦う兵士たちを祀り上げ英雄扱いするのも、それはある種のプロパガンダ的なものなんじゃないか。
自ら英雄になろうとしてなることって不可能で、結局は周りが英雄として祭り上げてるからその人は英雄と言われる。英雄は人が作り上げていくものだから、きっとそんなつもり無くして英雄と呼ばれた本人はビリーのように戸惑うのは当然だよね。
アン・リー監督はきっと凄くこのハーフタイムショーでのビリーを描きたかったからこの映画を作ったんじゃないかなと思うほどこのシーンは印象的だし見事だったと思う。
花火の爆音の中でただわけもわからず言われるままに敬礼して立ち尽くすまだあどけなさすら残る若き英雄ビリー・リンとその仲間の姿。ビヨンセ(ディスティニーズチャイルド)が踊るのを眼の前にしながら華やかなショーの見世物とも言えない、見世物の脇の飾り物みたいに扱われる兵士たち。そこで戦場の現実と今自分が立っている現実に混乱する。
まだ本当の恋すら知らないビリーが一目惚れして運命を感じるチアリーダーの女子が恋に恋する脳足りん女で胸糞悪かった。彼女が恋してるのはヒーローとの恋そのもので、本当のビリーなんて見てもいない。
結局彼の居場所は隊の仲間たちの愛に支えられた戦地しかないのかな。彼らにとっては戦地だけが現実なのかも。
色々考えさせられたけど、ちょっとすんなりは入ってこない映画だった。