空想的世界にて展開される、停滞からの飛躍。
本作は大きく分けて、説明パートとアニメーションパートの2つによって構成されています。
私は映像作品を名乗る上で、映像の力を信じることが最も大事だと考えています。
映像の力とは複合的なもので、時に画面に映る役者であり、時にアニメーションであり、時に劇伴であり、時に美術でありと、一概に映像と言っても、数多の要素が絡み合って1つになっています。
やってはいけないとまでは言いませんが、それに頼るのはどうかと思うこととして、ナレーションや文字による説明演出は、映像の力を信じ切れていない制作陣の心が透けて見えるため、評価は低くせざるを得なくなります。
上記のようなことを念頭に観る私にとって、この映像を作品と認めることは流石にできなかったです。
別に文字演出を使っているからダメだと頭ごなしに否定している訳ではなく、文字がないと成立しない(あるいは、作品として不十分になってしまう)ために、作品とは言えないと言っているのです。
アニメーションは説明パートが入っていたことで驚くほど分かりやすいです。
もはや奥行きなどあまり感じません。
説明されていることによって、薄っぺらくなっているという問題点もあるでしょう。
説明はなるべく排除すべきでした。
それで納得できないのあれば、もっとフックとなる要素や描写をアニメーションの中に加えるべきだったと思います。
アニメーション、ひいては映像の力を信じていなかったがために、文字を使ってしまい、それに基づいて考えが形成、浅さの助長につながりました。
分からない人が多くいたとしても、1人でも分かってくれる人がいてくれればいいと、そんな態度でいるべきだったと思います。
一応、内容面にも触れておきますが、要は人間の二面性、言い換えれば何者でもない、不安でどうしようもない(過去から続く)今から飛び立ち、厳しい世界の荒波を超えて、次なる生命(未来)につなげていく、そしてそうした飛躍ができたのは、停滞の過去があったからだと、今までのすべて含めて肯定してくれるアニメーションだったという考え方で間違いないでしょう。
ちゃんと文字を追い頭で理解をすれば、全部言ってくれていました。
作品という観点では語れない映像ではありますが、アーティスティックなアニメーションはクールで、希望的な未来を示してくれていると思います。
その点は、唯一褒められる点と言えるでしょう。
総じて、映像の力を信じ切れなかったことで生まれた、作品未満の人間の営み肯定映像でした!