このレビューはネタバレを含みます
「震災の時に、愛に包まれたエピソードしかテレビで報道されていなく、中には後味の悪い別れ方をしたケースもあったと思う」
(西川美和)
その通りだと思う。そんな、どこもかしこも愛に溢れた家族ばかりではない。確執のあった相手が死んじゃえば素直に悲しめない時だってあるさ。人間だもの。
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さて、本作は妻が事故で死んでしまったのに、悲しむことのできない夫の話。
夫は作家で有名人。インテリで自意識過剰で、なおかつ卑屈。都合が悪くなると、すぐ相手を論破して倒してしまう。究極のカッコつけ。
妻が死んだ時、夫は愛人とセックスをしていた。葬式では泣くフリをした。そして、妻が死んでしまった自分をエゴサーチする。
「津村啓 可哀想」
検索。
自分のことを愛せないから、他人のことも愛せない、孤独な男。
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身近な人が死んだとき、悲しめないというのは、
単純に悲しくないか、
または受け入れることができないか。
衣笠は前者、大宮の息子は後者だろう。
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私が、本作を見て感じた事は、ちょっと変わっていて「子どもの存在がいかに大人を変えるか」という事だった。たぶんこれは本作の意図するところではないが。
よく、「親の無償の愛情」という言葉を聞くが、全然無償ではない。大人が子どもを育てるのは義務だから。そして、心のどこかで恩返ししてくれることを望んでいるから。
しかし、子どもは違う。子どもには何の義務もない。見栄もない、見返りも期待していない。それでも、子どもはどんな大人にも、それこそこの衣笠幸夫というゲスの極みにすら、心から親しく接してくれる。
「無償の愛情」は実は子どもの方が注いでいるのではないか。
そして彼は、子どもと関わることで急激に人間を取り戻していった。それは逃避でも、免罪符でもない。こっちこそ人間の真の姿だと思う。
見栄や虚飾や自己嫌悪で廃れた大人を、人間の真の姿に戻したのは子どもだ。
子どもってすごいな。
そして彼は、ラストでようやく、心からの一筋の涙を流すのだった。
ここまで見ると、衣笠が悲しめなかった理由も、悲しくないからではなく、受け入れることができないからだったのかもしれない、と思った。
ヘンデルの「調子のよい鍛冶屋」が流れるエンドロールの余韻も心地よい。
公開:2016年
監督:西川美和(『ゆれる』『ディア・ドクター』)
出演:本木雅弘、竹原ピストル、深津絵里、池松壮亮