dm10forever

ディストラクション・ベイビーズのdm10foreverのレビュー・感想・評価

3.8
【ブレーキのない暴走列車】

とにかく最初から最後まで柳楽優弥の「ケレン味のない」それでいて「止め処なく溢れ出す狂気」が観るものの心まで支配してしまう、そんな恐ろしい映画です。
鑑賞している間ずっと「何故」の理由を探し続けましたが、最後のシーンを見た瞬間に理解しました。

「あぁ、何故を追求する事自体がナンセンスだわ」と。

別に何かをされたわけでもない。
別に何かから逃げているわけでもない。
別に誰かを守っているわけでもない。
別に恨みがあるわけでもない。
別に・・・。

「純粋な狂気」というコピーがつけられていたが、一見核心を突いているようで、実は深みのない当たり障りのないキャッチーな響き・・・。「純粋」・・・そんな綺麗なものだろうか?
彼は暴力を楽しんでいる?う~ん、確かに楽しんでいる部分はあったかもしれない。ただ、そういう欲望や衝動に駆られてというよりは、むしろ「呼吸」に近い感覚に思えた。
暴力こそが彼の「呼吸」なのだ。
理由も欲望も衝動もなく、ただ黙々と人を殴り続ける。
笑うでもなく、叫ぶでもなく、ただ淡々と・・・。

だから、彼にとって目の前に広がる光景や、そこにいる人々は「欲求のはけ口」などではなく、ただ「そこにいるから」という理由しかないのだ。
絶妙な設定に感じたのは、彼が「最強」ではないという点。
ヤクザとの喧嘩はことごとくボコボコにされるも全く負けたと思っていない。今日やられたら明日逆にボコればいい、それくらいの感覚でしかない。
彼は止まり方をしらない「暴走特急」なのだ。いや、知らないんじゃない、最初からブレーキなんか付いていないのだ。だから止まるという概念は最初から持ち合わせていない。

祐也(菅田正暉)が彼と行動を共にしようとしたきっかけ(動機)は?
日頃の鬱屈した生活に嫌気がさして・・・そんな純文学みたいな絵になるもんじゃない。
リア充気取った「エア充」坊主が、ちょっとした好奇心で世間に対する自己顕示を満たすための体のいいおもちゃが偶然目の前にあっただけ。
別に何かに不満があったとかではなく、「リア充」という名の仮想現実の中で、もっと自分を見てほしい、もっと自分に注目してほしいという単純な「動機」。

ただ興味本位だっただけに、その「おもちゃ」の使用上の注意事項をよく読まなかったんだね。
一緒になって「遊んでいる」つもりだったけど、最初から思考回路や原動力、人間としてのリミットなどの全てがあまりにも違いすぎた。
最初のうちは一緒になって騒いでいるだけで楽しいとしか感じなかったけど、一瞬でも躊躇した瞬間に見えた光景は、祐也が「楽しい」と感じられるエクスタシーの上限をはるかに超えた世界だった。
せめて立ち止まることだけでも出来れば、最悪の結末まで連れて行かれることはなかったかもしれないが・・・そう、ブレーキがついていなかった。

ラストに現れた泰良は風貌だけではなく、雰囲気(オーラ)まで研ぎ澄まされ、完全に「野獣」のような佇まいに変貌していた。

警官を襲ったとき、拳銃で撃たれて終わるのかな・・・と思った。そう想像した。最悪だけどこれしか止める方法が無いのかも・・・と。

しかし違った。彼は拳銃すら恐れずに警官をも倒してしまう。

そして気が付くのだ

「彼は恐怖や快楽などの人としての到達点を持たない無機質な獣なんだ」と。

だから彼の行動には「行き着く場所(理由)」がないのだと。
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