よしおスタンダード

ディストラクション・ベイビーズのよしおスタンダードのレビュー・感想・評価

4.0
No.2547
【こんなわけのわからん映画のレビューすんの、めんどいわーww】

って言ったら身もふたもないですね(笑)。頭空っぽにしてポカーンと見たら、この映画、0点ですよ。だって、意味がわからないもんww

でも、それじゃ映画ファンとして負け戦になっちゃうからがんばって考察します!

まず、見終わって思ったのは、アルベール・カミュの小説「異邦人」のことでした。この小説の主人公ムルソーは、あることから殺人を犯してしまうのですが、その動機を、あろうことか「太陽が眩しかったから」と言ってのけるのです。

この「ディストラクション・ベイビー」も夏が舞台ですが、もう、そんな感じ。

とにかく柳楽優弥という役者の魂に圧倒されます!

「闇金ウシジマくん Part2」で見せた不気味すぎるストーカー役が更にパワーアップした感じですね。

また、ホアキン・フェニックス主演の「ビューティフル・デイ」(https://filmarks.com/movies/74108)や、コーエン兄弟の「ノーカントリー」のように、「映画というフィクションの中の暴力」とは何なのか、を問いかける作品なんかも脳裏に浮かびました。

柳楽が犯す暴力行為に動機なんかないんです。いや、実際にはあるかもしれないけど、それはこのドラマにとって意味がない。

「動機なき暴力」。これはもはや「物理現象」みたいなものです。万物に必ず引力が働くようなものです。

この映画の中の柳楽優弥という「物理現象」は、例外なく、見境なく、目の前の人物たちに殴りかかっていきます。「現象」だから例外がないのです。必ず殴り掛かります。

そして、それを傍観する人がいたり、彼の超人性に感化されてついていっちゃう菅田将暉みたいな人がいたり、

あるいはSNSで動画が拡散されることによって、その「ただの物理現象たる柳楽優弥」は、周りの人間たちによって「概念化」されていくのです。その概念を、マスコミは「モンスター」と名付けたり、SNS上でダークヒーローのように扱われたりするわけです。

さて、ここで一つ疑問に思うことがあります。途中から行動を共にする菅田将暉は、なぜ途中で怖くなったり、逃げ出したりしなかったのか。逃げていれば、あんな最期を遂げずに済んだのに、と。

多分、菅田は、柳楽の鏡合わせなんじゃないかと。とにかく二人は好対照。

やたら喋る菅田と、数えるほどしかセリフのない柳楽。

なんの躊躇もなく暴力を働く柳楽と、「なんで? どうして?」と問いかけながら暴力に加担していく菅田。

菅田の存在は、まるで柳楽の何らかの潜在意識が投影されたかのようです。だから最期まで身と影のように二人は離れなかった。

また、題名の「ディストラクション」ですが、あまり耳慣れない言葉ですね。わたしも英和辞書で調べてみました。

「Distraction」かもしれないし、「Destruction」という単語もある。どっちかよくわからない。

でも、この言葉の意味のどれが、この映画の本質に当てはまるのかは、ラストシーンで、村上虹郎が見ていたものと照らし合わせて考えたら、あぁ、なるほどそういうことか、と思いました。

邦画は今、冬の時代なのでしょうか。もとい、もう少し正確に言うと「オリジナル脚本の実写映画」は、実際、どれくらい見られているのか。

もし、邦画界全体にもっと活気があって、日ごろの友達同士の話題の中にももっと自然に邦画が出てくるような時代であれば(特に「オリジナル脚本の実写映画」)、

この映画はひょっとして、かつての「ファイト・クラブ」や「時計じかけのオレンジ」、邦画なら「殺し屋1」のような、不条理バイオレンス映画のエポック的存在になっていく可能性すらあったかもしれません。

しかし、現時点で、そうはなっていない。業界では高い評価を受けたようですが(日本映画プロフェッショナル大賞受賞)、一般的にはそんなに話題になっていた記憶がない・・。

そういう意味では、かなり大きな一石を投じようとした真利子監督は忸怩たる思いかもしれませんが、私はこういうチャレンジングな監督、作品は100%応援したい。

必ず時代は追いつくと思う。いや、追いつかせるのが、我々映画ファンの使命だ、とすら思うのです。