紅蓮亭血飛沫

ヒトラーの忘れものの紅蓮亭血飛沫のネタバレレビュー・内容・結末

ヒトラーの忘れもの(2015年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

第二次世界大戦後のデンマークに地雷撤去のために2000名を超える独軍捕虜が送られ、除去した地雷は150万を上回る。
半数近くが死亡、または手足を負う重傷を負った。
彼らの多くは、“少年兵”だった。

ストーリーがストーリーなだけに陰湿な場面だらけで構築されるかと思いきや、地雷処理のドイツ少年兵達に同情の念を抱き始めるデンマークの軍曹によるドラマがとても見応えがあり、そこにほんの僅かなれどユーモアに富んだやり取りも重視する流れを含める事で独特な世界観を生み出す事に成功しています。
この世界観は、正に唯一無二。
戦闘によってもたらされた後始末を巡る、人間の尊厳を問う衝撃の問題作。

また、本作は原題として三つあるのも打点が高い。
Under sandet(砂の下)
Unter Dem Sand(砂の下)
LAND OF MINE(地雷の土地、私の土地)
本作のテーマからして、この原題は胸に響く事間違いなし。
邦題である“ヒトラーの忘れもの”は賛否あるかもしれませんが、この“忘れもの”とは何を指すのか、その点を考えるのも面白いかもしれませんね。
地雷であるのか、それとも散っていった少年兵達なのか…?

本作で特筆したい点は、全編に渡って緩急のついた構成を徹底している事から生じる、我々視聴者もキャラクター同様に油断も隙も無い閉鎖環境に追い込まれていく…という共有感覚を抱く事が出来るという点。
地雷処理をさせられるドイツ軍少年兵士達の現状は悲惨なもので、少しでも手元が狂えば、地雷を見落としたりでもしたらその瞬間自分の体は吹っ飛び、生と死の狭間で苦しむ羽目になるのですが、本編もそれなりに時間が過ぎていくと少年兵達も、視聴者も慣れ始めてくるのです。
特に少年兵達と彼らに指示を飛ばすラスムスン軍曹が、次第に心を通わせ、同情から友情へと変わっていく過程が非常に和やかで、こんな地獄のような環境においてようやく目覚めた良心の呵責…といった一つのオアシスを展開しておきながら、そんな平和が“大きな爆発音”によって無に帰す事となります。
少年兵達が処理していた地雷に見落としがあったのか、設置されていた地雷を位置づけている地図に誤りがあったのか定かではありませんが、地雷の爆発と同時に軍曹の大切に飼っていた犬が亡くなってしまうのです。

油断も同情もしてはならない。
すればそこに隙が生まれ、業務に支障が出る可能性が大いにある。
現に大切に飼っていた犬が死亡したのだから。
ともなればもう情けも同情も必要ない。

安らぎを得ていた少年兵達も軍曹も、我々視聴者も、瞬く間に地の底へと帰還させられる羽目になる。
たった一発、されどその一発によって、一瞬で地獄に引き戻されたこの絶望は言葉では言い表せない程の恐怖に塗れています。
それは少年兵達だけでなく、我々視聴者も彼らほどではないにしても、頭を勢いよくぶん殴られたように引き戻されてしまうため、自然と登場人物達とリンクする。
そこから容赦なく展開される物語が追い打ちをかけ、一瞬の油断も隙も見せる事無く“現実”が少年兵と軍曹達の首をゆっくりと絞めていく。
生きて帰ったら何をしたいか、夢を語りながら踏ん張っている兵士達が辿る運命は、全ての人類に見て欲しいほどの衝撃とメッセージを秘めています。

次の瞬間には死んでいるかもしれない恐怖に怯えながら、祖国が仕組んだ地雷を撤去する少年兵達。
少年を使って地雷処理をする事に抵抗があるも、自分の国を荒らしたドイツ出身の兵士であるという憎しみの狭間で葛藤する軍曹。
地雷処理という恐るべき業務を果たした後の、少年兵達の人生はどうなってしまうのか?
戦争によって引き起こされたもう一つの戦場を舞台に、人間の人生観に強く訴えかけるシーンが散りばめられた名作です。
是非とも鑑賞してこの世界観に、登場人物達によって人生観と脳内を翻弄されて欲しい。
人が人として生きる、とは…?