TOSHI

レディ・プレイヤー1のTOSHIのレビュー・感想・評価

レディ・プレイヤー1(2018年製作の映画)
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これは凄い。見た事もないような映画だ。コンセプトの独創性から、期待が高まっていたが、映像表現としては想像を超えてきた。全編がゲーム感覚の作品としては、過去にも「トロン」(1982年)等があったが、スケール・表現力のケタが違う。

1980年代を想起させる代表的なロックチューンである、「ジャンプ」(ヴァン・ヘイレン)のイントロと共に、2045年の世界が現れるのが、何とも言えない倒錯した感覚だ。そして現れるのが、スラム街であるのに驚く。アメリカ・オハイオ州の、スタックと呼ばれるスラム街。貧富の差は拡大し、荒廃した世界のようだ。トレーラーハウスを積み重ねたような高層建築のアパートで、両親を亡くし叔母とそのヒモの男と暮らすウェイド(タイ・シェリダン)は、DVに耐えながら、眠るだけのスペースを与えられている。
現実に何の希望もない人々の関心は、ヘッドセットを着け、アバターを通じて体験する仮想世界「オアシス」にしかない。ゲームとして開発されたオアシスだったが、願望は何でも叶う夢の世界に発展しており、人々は食べる・眠る・トイレ以外は、オアシスで過ごす事になる。
ウェイドは、パーシヴァルというアバターでログインするが、オアシスの、既存の有名キャラクターやガジェットが入り乱れた世界観に圧倒される。特に序盤は、情報量が最高レベルの、目眩く映像について行くのに苦労する程だ。
5年前に亡くなった、オアシスの創設者、ジェームズ・ハリデー(マーク・ライランス)の遺言が発表されており、それはオアシスに眠る三つの鍵を解き、イースターエッグを手にした者に全財産56兆円と、世界の全てを贈与するという物だった(ハリデーのアバターは、オアシスの中で生きている)。
既に入口が発見されている一つ目の鍵であるカーレース(マッハ号やデロリアンが登場)から始まり、三つの鍵を巡る壮大な争奪戦が展開される。ウェイドが出会う仲間と、謎めいた美女・アルテミス。そして世界支配のため、全てを手に入れようとする巨大企業・IOI社も現れ、争奪戦は信じられない次元に発展する。
某有名映画の世界に入り込むシークエンスが、ユニークだ。そして予告にも映っているガンダムの登場など、クライマックスに興奮した(対戦相手に驚く)。まさに映画でしかありえない、ここではないどこかに観客を連れて行く、最高の興奮と感動がもたらされる作品だ。上映が終わった時に、客席から拍手が起こったのは、本当に久しぶりだった。

「E.T.」で既に、映画監督として最上の名声と富を手にしていたスティーブン・スピルバーグ監督が、その後35年も映画制作を続けていたのは、本作に到達するためだったのではないかと思える程、映画的な喜びに溢れた最高にクールな作品だった。「BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント」で、演出のキレのなさに、スピルバーグも老いたかと思ったが、まさか二年後に、これ程の突き抜けた作品が生まれるとは想像できなかった。80年代に映画界の神だったスピルバーグ監督が、80年代のポップカルチャーを引き連れて、再び神として降臨したかのようだ。
ゴジラで映画に目覚め、ハローキティが大好きだというスピルバーグ監督が、ここまでオタク性を全開にしたのは初めてだろう。子供の遊び心が、爆発したような作品だ。何もかもが混然一体となったカオスの世界を描きながら、見せるポイントが明確で分かりやすく、映画としての品格を保っているのもスピルバーグ監督ならではだ。

長い間、現実が思うようにならない人々が、現実で得られない満足感を、虚構としての映画に求めてきた訳だが(私もだ)、現実が思うようにならない人を仮想世界で満足させるVRが、高度なリアリティを伴って予見され、それが既存の映像表現を突き破るような映画になった事は、従来の観客と映画の関係を変え、将来の映画の在り方も示唆するような革命だろう。エンディングでの、VRの価値観に関する結論が浅く、教科書的な事が残念だが、着想的にはたまたま今迄、作られていなかっただけに思える、他の多くの新作映画とは一線を画す、先ずビジョンでぶっちぎり、圧倒的な映像体験をもたらすエンターテインメント作品になっているのは間違いない。ブルー・レイを購入して、何度も観返す事になるだろう。
スピルバーグ監督には是非、更にVRと現実との関係性を発展させた作品を、手掛けてほしいと思う。
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