せーじ

レディ・プレイヤー1のせーじのレビュー・感想・評価

レディ・プレイヤー1(2018年製作の映画)
4.1
【文末に追記しました】

イオンシネマ市川妙典で鑑賞。
四割~五割といったところだろうか。
割と年齢層が高め(40代くらい?)なのが印象的だった。

うん、スピルバーグ監督作品らしい、スピルバーグ監督にしか作れない、すごい作品だと思う。映像が素晴らしいのはもちろん、日本のポップカルチャーに対する愛もビシビシ伝わってくるし。
でも…この作品が好きな人には本当に本当に本当に申し訳ないんですけれども、自分はそんなにはノレませんでした…。

ノレなかった理由は大きくわけて二つ。
まず、オチがまったくフレッシュではなかったということ。「つくられた世界よりも現実世界の方が大事だ、けれども…」というのは、いままで散々世界中のゲームをはじめとするコンテンツとユーザー達が向き合い、悩んできた"問題"であり、それが簡単に解決出来れば苦労はない"難題"であるはずだ。しかし、この作品をもってしてもその難題を足踏みをさせたまま突破することはおろか、フォローすらできていないというのがとても残念に思えてしまう。というよりも「ゲームばかりしてないで、もっと現実の世界を充実させなさいガミガミ」という数十年前からの年寄りのお説教を、相も変わらずに聞かされているように自分には感じられてしまった。おもわず「そんなことわかってるよ!」と、小学四年生みたいな口調で言い返したくなるという。もう一歩、もう半歩だけでもその先の考え方を提示して欲しかった。

もうひとつは、主人公達がボンクラなようでいて実はそうでもない、なんならチートな描かれ方がされているというところ。そもそもヒロインはともかくとして、主人公を一匹狼キャラにしたという時点でわかっていないと自分は思う。例えばMMORPGだったら"旅団"という概念があるけれども「とある旅団の中の最下層のグループのひとりで、地味な存在だけれどもこのゲームを誰よりも愛しているやつ」くらいのバランスからはじめる感じでやっと丁度いいくらいだと自分は思う。仮想空間でも"カースト"があって、カネにモノをいわせてブイブイやってる奴らがいる一方、主人公達は…みたいな対比が欲しい。
また、主人公が何者なのかが"敵"にバレるのが早すぎるし、敵が現実の主人公に対して暴力的な実力行使に出るというのも、わかりやすいけれどもちょっと違う気がした。そこは主人公がボンクラ過ぎてどこの誰なのかがなかなか分からない…だとか、SNS的な概念をとり入れることで"炎上"させて、ゲーム内で主人公の立場を不利に陥れたりだとか、ネットワークゲームならではの演出とストーリー展開が、色々とあったはずだろう。加えて、せっかく「アバターと実際の人物の性別や年格好が違うかもしれない」という概念を持ち込んでいるのに、主人公達の正体を大体似たような世代の男の子中心の子供たちにしてしまったというのも勿体ない気がする。実際の性別がどちらなのかがわからないというのを利用するのはもちろん、たとえば「シング」の登場人物くらい世代や性別、環境に幅があっても良かったのではないだろうか。

ゲームでも映画でも、体験した人間が実際の現実世界に繋がるような感動を覚えるから楽しいわけで、それをほとんど"主人公のヒロインに対する愛"に落とし込んでしまうというのも、ステロタイプで上手くないと思う。なんだよ結局オマエらリア充になってめでたしめでたしかよ…と思ったり。

…などというネクラでひねくれた見方をしてしまうのは、たぶん自分だけだと思います。いや、自分だけでいいですw
きっと、自分が求めていたものとは違うだけだと思うので。
ただ、今を生きるボンクラなオタクの端くれとしては、最低でもそれくらいのものを見せて欲しかったですし、スピルバーグなら!という期待もあったのもまた事実で、残念だなあ…と思わざるを得ません。

某映画オマージュのくだりで、社畜プレイヤー達が"阿鼻叫喚の地獄絵図"に巻き込まれるくだりとかは、くだらなくて笑っちゃいましたけどね。

【以下追記】
と、ここまで書いたところで違和感を感じてもう一度、フォロワーさんたちの感想を読み比べながら色々考察してみたところ、ひとつの仮説が浮かび上がってしまった。

「もしかしてこの作品自体が、過去のスピルバーグ監督作品のオマージュで出来ているんじゃね??」

言ってみればこの作品、「電脳仮想世界版インディー・ジョーンズ」であると捉えてみると、上で書いたような違和感や文句を言いたくなったところが全部腑に落ちるようになっているのだ。「今それをやる意味ってある?」というところまでふくめて。(あるに決まってるじゃん、だってスピルバーグだもん!と言えばいい訳だし)
なので最初から、自分が求めていた考えとは完全に別物、別定義の作品だったということになる。この作品は、仮想世界の物語を語るうえで「この映画そのものも仮想世界である」という"韻"を踏んでいたのだ。そしてその上で、スピルバーグ監督が自分たちに伝えたかったことを受け取ってしまったら、もう納得せざるを得ない。
力なく「こちらこそ、ありがとうございます」と言わざるを得なくなってしまう。