ああああ

レディ・プレイヤー1のああああのレビュー・感想・評価

レディ・プレイヤー1(2018年製作の映画)
4.4
初心に戻ったような心地になった。最近、映画を見る時、「作者の思いは何だろうか」「主題やそこに秘めた思いは何か」「映画の構成はどうか。」という観点から見ていた。評価や分析を目的にしており、純粋に娯楽として楽しんでいなかった。勿論、この見方も悪くは無いが、子供の時のようなワクワク感やハラハラ感を持ちつつ、映画を見るのも楽しい。展開の予測や、伏線やフラグの発見に固執せずに、ただ流れてくる「いま」を楽しむ。映画の締め、つまり「みらい」を考えずに見ることも一興なり。脱線するが、私の人生観と重なる。未だ来ていない先のことをあえて考えずに、今を楽しむ。考えなしと嘲笑されるかもしれないが、思考が精神状態、置かれている状況、気分、天気、立場によって簡単に変わってしまうことを踏まえると、賢明ではないか。「いま」の視座からじゃ「みらい」の自分の状況を見通すことなど不可能だし、正確性に欠ける想像力を駆使して、一喜一憂しても無意味だ。多くの場合、思った通りにはならない。だったら、思考放棄して現実を謳歌しようではないかハハハ。
にしても、本作は娯楽性もさる事ながら、メッセージ性も強かった。程度の差は置いといて、近い将来VRに生きる人間が続出するのではないかと思う。まさしく本作に描かれていた人達のように、現実よりも虚構に耽溺し、地縁的なつながりから情報縁的なつながりの重視へ。地域創生が叫ばれている中、そんなのはオワコンだとの声。人々はインターネットのアバターと友達になり、恋人になり、家族になる。そんな未来社会が一部では実現するだろう。今でさえ、ネット恋愛、ネットからの出会いが横行しているのだから現実的ではないか。まあ悪くは無いが、あまりにも流動性が増すと深くコミットメント出来なくなるのではないかとは宮台真司の危惧。私も同感だ。しかし、そこに実りはあるのか。電源落とせば孤独に戻り、掲示板で神と崇められても所詮一時の悦楽に浸れるだけ。「いいね」を集めても金にも飯にも道具にも変化しない。一時の承認欲求が満たされるだけ。アバターに愛を囁かれても、目を凝らしてみれば温もりも湿り気もない、ただの冷えている言葉。書き言葉でも話し言葉でもそう。ただの入れ替え可能な、主体を問わない言葉。僕は実りはないと思うし、話の方向性を間違えた。本来は、「スピルバーグが描く~オタクの受難の終焉~」「スピルバーグよ有難う~日本文化及び日本人への偏見払拭の功績~」「スピルバーグ式、虚構との戯れ方講座」でした。以上。