Filmoja

レディ・プレイヤー1のFilmojaのレビュー・感想・評価

レディ・プレイヤー1(2018年製作の映画)
5.0
なんて祝祭的な映画なんだろう。
これは21世紀に生きる僕らに向けて作られたオマージュのような映画だ。自分はまだ子どもだったけれど、80'sリアルタイム世代にとって、こんなにも祝福された作品が今、観られることの幸せ。
スピルバーグ監督の、今年最大のギフトであり、サプライズではないだろうか。子どもの頃のキラキラした記憶が甦る、原初体験を呼び覚ましてくれるような、最高のエンターテイメント。

ヴァン・ヘイレン「ジャンプ」の軽快なキーボードに乗せて描かれる舞台は、エネルギー資源が尽き、貧富の差が激しく、これでもかと格差が強調され荒廃した「バック・トゥ・ザ・フューチャー」とは真逆の近未来像だ。
主人公は報われない現実から解放され、理想の自分になれる“オアシス”と呼ばれるVR(バーチャルリアリティー)を最初は単なる現実逃避のツールとして、創始者ハリデーの仕掛けたゲームに挑戦する。
しかし、ある事件をきっかけに物語は大きな展開を迎えることになる。

このテクノロジーが発達した時代に、あえてVRの世界を描くことに対して懐疑的になってしまう人もいると思う。そんな不安を一気に払拭してくれる圧倒的な映像の迫力と、想像を具現化したような幻想的な世界観。
かつてない没入感とともに、現実世界と仮想空間を行ったり来たりする展開は些か滑稽に思えるけれど、僕らの世界だってちょっと周りを見渡せば、みんなスマホやネットゲームに夢中なのと何ら変わらない。

人びとが熱中する“オアシス”の運営権を手に入れるために、財力に任せてゲームを支配するIT企業「IOI」はアメリカの格差社会、コーポラティズムの象徴だ。
持つ者と持たざる者が明確に分かれる構図は、そのままこの世界にも当てはまる。
若者がモラトリアムから脱け出し、大人への成長過程で、自分たちがこれまで培ってきたもの(80年代ポップカルチャー)を武器にして不条理な社会のシステムに立ち向かう様は、まるで僕らそのものじゃないか!

SF、アドベンチャー、アクション、ホラー、ミステリー、そしてロマンス。様々なジャンルを多岐に渡って横断し、喜怒哀楽のすべてが詰まった感情のジェットコースター。
最後の試練に挑む終盤の総力戦、古今東西、無数のキャラクターが登場するハイライトシーンでは、思わず泣き出してしまいそうだった。これまでの自分を形作ってきたものが認められたような気がしたから。

大人になるにつれて、人は大事なものを見失いがちだ。既存の常識や価値観から抜け出せず、そこから外れたものはなかなか認めようとしない。
映画だって、いつしか考えながら観てしまうようになった。あのシーンはあの作品からの影響だとか、このシーンでは製作者の意図がうんたらかんたら…もちろんそういう楽しみ方も間違いじゃない。
けれども、そんな僕らを揶揄するかのような監督=ハリデーのイタズラ心があちこちに垣間見えて、何とも心地良かったのだ。本当に童心に返ったような気持ちになれたから。

それでいて、オアシスの外の“現実世界”のリアルな人生もしっかりと肯定してくれる。アバターを介さずとも、人はなりたい自分になれる。バーチャルでもリアルでも、誰もが自分が主人公だと思えるように、そっと背中を押してくれる。
これだけ多くのものを描きながら、結局は人間讃歌に帰着するのがスピルバーグ監督の優しさだと思う。

同時に、とても挑発的ですらある。
人気作品のリメイクが繰り返される昨今、あの頃は良かったという懐古主義だけじゃない、未来へ向けての希望を込めた後進へのエール。
自身をパロディ化したような名作へのリスペクトと、それを飛び越える勇気。
居心地のいい部屋にいては決して味わえない、今だからこそ作られる意義のある、今を生きるための映画だ。

ぜひ劇場で、それぞれの“イースターエッグ”を見つけてほしい。
Filmoja

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