この表現に憮然とする人はそれ自体が術中に嵌ってると言わんばかりに、マチズモあるあるを連発する。現実世界でマチズモの洗礼を受けたライアン・ゴズリングのケンが全身で演じてて偉いなぁと思った。
「女性の理想の世界=バービーランド」は「男性の理想の世界」の反転ではない。男性の理想の世界というと、かつて少年および青年漫画雑誌にあった札束持った男性が札束の風呂に入って両脇に女性がしがみついてる広告なんかが想像される(いまもあるのか?)。バービーランドはその女性版では全くない。セックスに関わるものがバービーランドからは排除されている。妊婦バービーも廃版となっている。バービーランドの住人は性器を持たない。バービーたちにとってのケン(男性全般)はアクセサリーと同じでしかないという点においてだけ、もしかしたら男性の反転かもしれない。
なぜ女性の理想の世界としたときに、セックスが無いものとされるのか。女の子向けだから?夢を壊すから?だったらなぜ、セックスが女の子にとって夢を持てるものではないのか。
マテル社CEO役のウィル・フェレルがバービーを懐柔するために一生懸命ポリコレ的にOKそうな言葉を並べるシーンは、戯画的ゆえにリアル。ケンが現実世界で道ゆく男性から聞いた言葉も。男性は、ポリコレの地雷を踏まないようにし、逆に隠れキリシタンのようにマチズモの踏み絵を踏まなければいけない=ひそかにマチズモ信仰を続け、踏み絵さえ踏んでおけば意外とマチズモのままで暮らしていける。そういう現実を、痛烈に表している。(まあ本邦はそれ以前かもしれないが…)
しかしケンがバービーランドに持ち込んだマチズモに彩られたケンランドは、どちらかというと「キャンプ」ぽい。廃版になったマジック・イヤリング・ケンというのもちらっと登場する。色んな目くばせが感じられる。二大ケン(ゴズリングとシム・リウ)の馬鹿馬鹿しくも壮大なダンスシーンは『紳士は金髪がお好き』で肌色のパンツ姿でトレーニングするマッチョのダンスシーンを思い出した。
一人しかいないアラン(マイケル・セラ)はマチズモに馴染めないマイノリティ男性として登場する。そこで女性性はこう、男性性はこうと、簡単に二分できない価値観が存在することが示されるが、ちょっと隠しコマンドが過ぎたように思う。
男性/女性らしさよりもあなたらしさ、というところに還元されるものの、どうしてもマチズモあるあるのフォローをしきれるだけの要素が無い。
でもその表現を怒るの「女が俺たちを持ち上げないから悪い」って拗ねてるってこと?となるわな。
なんか結局まとまらないが、ケイト・マッキノンは素晴らしくよかった。あとマーゴット・ロビーがバス停でおばあさんに話しかけるシーンや色んな女性のフッテージが走馬灯みたいになるシーンがグレタ・ガーウィグかなと思った。