こーた

ノクターナル・アニマルズのこーたのレビュー・感想・評価

ノクターナル・アニマルズ(2016年製作の映画)
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小説を読んでいると、ふっと自らの記憶が甦ってきて、なかなか頁の進まないことがある。
物語という情報を仕入れる以上に、読書は体験といっていい。
本を読むわたしたちがその物語に共感するのは、自らの経験に根ざした過去をもっているからであり、経験と体験との一致にわたしたちは喜び、怒り、恐怖し、泣くのである。
映画もまた然り、だ。
この映画は、それをやっている。
女が、ただただ小説を読んでいくのである。
女と一緒に、映画を観るわれわれも本を読む。
女が過去を思い出す。
そのさまをわたしたちは観ている。
すごい映画である。

男は夜の荒野で妻と娘を失う。
圧倒的な暴力が、愛するものを奪っていったのである。
永遠につづくとも思える暗い荒野のまっすぐな道を、走り去っていった夜の獣たち(nocturnal animals)。
自身の内面にその獣をみて、書を読む女の心はざわつく。
暴力と愛は裏表であり、グロテスクとエロチシズムは対をなす。
美しいものは醜くもあり、その逆もまた然り、だ。
女は過去を思い出して想いを募らせるが、再び男に呼びかけても、もう遅い。
いっくら待ってもこないのである。男は死んでしまったのだから。
You killed me.
あなたがわたしを殺したのだ。
ひとたび失った愛は、もう取り戻すことができない。

本を読む女には生活感がなく、昔の男が書いた小説に影響されて、過去の自らを悔いて再び男を求めるさまは、どこか安っぽくて現実感に乏しい。
一方で小説が醸し出す荒涼感と悪党たちの暴力、さらには病に蝕まれていく保安官といった諸々には、圧倒的な存在感があって、現実と虚構がいつしか顛倒しているように、わたしには思える。
好きか嫌いかと問われれば、はっきりと大嫌いだとこたえられる。
だか、好きと嫌いも、また対になっているのである。
嫌いがあるから、好きがわかる。その逆もまた然り、だ。
どちらがなにやら、わからなくなる。
つくづく、空恐ろしい映画である。