Yoko

ノクターナル・アニマルズのYokoのレビュー・感想・評価

ノクターナル・アニマルズ(2016年製作の映画)
4.4
 芸術家の夢を諦め美術商として成功を収めた”スーザン”。好男子の夫がおり、金銭的にも裕福な邸宅を持つ彼女であったが、満たされない日々が続いていた。
 そんなある日、大学院に通っていた頃の元夫”エドワード”から小説が送られてくる。
『ノクターナル・アニマルズ』という小説に隠されたメッセージとは…。

 『シングルマン』において鮮やかな彩りを演出したトム・フォード監督最新作。今作は、更に一つ上の段階に登りつめたような傑作だった。
「女神」たちが踊るOPの圧倒的な作品世界への陶酔、これだけでもう素晴らしい。
今年公開で観てきた映画の中でも、ダントツで印象に残る。いや、もうかつてないほど素晴らしい冒頭かもしれない。
いつの間にか『ノクターナル・アニマルズ』の世界に入り込んでいた。「自分は何を見せられているんだろう?」という疑問を挟む余地など一切ない、「引き込む」という点においてこれほど上出来で且つ先進的なアートで幕を開ける今作への期待は瞬時に最高潮に達していた。
 肉体を重ね合わせたシーンの巧妙な繋ぎ合わせ、そして、奇特で豪奢なファッションセンスにも酔いしれることが出来る。
美術と映画の融合という点においては、前作以上のセンスを認めることが出来た。


(※以下、ややネタバレ) 
 
 物語の結末において、「復讐」という言葉で終わらせてしまっていいのかというぼんやりとしたやるせなさ、そして長いブランクを空けたトム・フォードがわざわざそんな陳腐な物語を作るなんてことはないだろうといった監督への無批判的期待があったために、ネット方々で調べてみたところ、今作に対する見識の浅さが否応なく明るみになり恥ずかしい思いをしたことは正直に言っておきます。
核心を避けるために少し遠まわしな言い方をしますが、主観的読者「スーザン」と俯瞰的読者「観客」が小説を読む(観る)ことにおいて、同じ視座に立つこと(この構図がさり気なく出来上がっていることが素晴らしい)で成立している精巧なミステリーであったことに気付かされてしまったという訳です。
こうした作中の「鈍感な人物」と「観客」が視線を共有することで生まれる倒錯感のあるミステリーは、村上春樹著『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を彷彿とさせました。
つまり、人物が鈍感であることを上手く隠蔽することで、鈍感な人物と同じ視座に立つ観客が知らず知らず嵌ってしまう、下手をすれば観客は嵌ってしまっていることにすら気付けないほど深淵なミステリー。
何より、ジェイク・ギレンホールが一人二役を演じることが技術的に可能な「映画」だからこそ出来た上質なミステリーだったとも言えます。
 エドワードのメッセージ、そして彼女がそれに「気付いていない」という二つの事実を私自身気付けなかったことへの悔しさもありましたが、そもそも万人がミステリーと気付いてしまうようなミステリー作品なんて面白くないんです(今作では核心部まで到達できなかった私が言える立場じゃないですが)。
 しかし、何よりも今作の小説世界、そして現実と過去の世界が孕む緊張感は上述したミステリー要素に依存せずに生み出されているので、この映画のどの部分を抽出しても上質な出来栄えになっているのが凄い。
決してミステリー一本で勝負を挑んでいるわけではなく、多様な解釈も許す間口の広さ(あくまで、この精巧なミステリー作品の割には)が今作の魅力とも言えるでしょう。

 『シングルマン』の完成度故に鑑賞前から高かった期待をあっさりと超えたトム・フォード監督。
次作があるとすればどのようなアプローチで私たちを翻弄するのか、せめて翻弄されていることには気付きたいものです。
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