女は小説家を目指すかつての夫に、情熱や愛だけではやっていけないと、彼に三行半を突きつけ(身ごもっていた子供まで堕ろし)、実業家のセレブリティに鞍替えした過去があり、現在に至っております。
かつてデザイナーを夢見ていた彼女は、それを諦め、今じゃ夫の援助を得て画廊のオーナーに収まっています。
と、そこへ昔、捨てた男から小説の原稿が届きます。
……そこから映画は女が今、生活を送る現実の出来事と、女が読む小説の物語が並行して、描かれていきます…
小説の内容は女が犯した罪(夢を蔑ろにして物欲に走り、夫に相談せずに堕胎し、金持ちと不倫をした結果、夫を捨てて不倫相手と結婚したこと)を、暗喩的に散りばめられており、結果、復讐…とまではいかなくとも、それらに対する異議申し立てのようなものが、モチーフになっているようです。
いや、この作品を手掛けたトム・フォードの言わんとするところは、よーく分かります。
要するに金や名声よりも大切なものがある、ってことでしょ?
それを謎解きという回りくどいやり方で提示しようとしてるんですが、その答えが、『サングラス1つ5万円もする高級ファッション・ブランドのデザイナー』でもあるトム・フォード自身の、金持ちであることの苦悩だとしても、あーそーですか、、お金持ちも大変ですなぁ、くらいにしか返答の仕様がありません。
そんなにお悩みなら、資産全て慈善団体に寄付すればいかがでしょう、とご進言したくもなります。
どうせそんなことも出来っこないくせに、いっちょまえにブルジョワの憂愁だけは 美意識として持ち続け、映画という形でもって吐露する…。
なんか鼻持ちならんですな。
比較するのも何ですが、「アメリカン・サイコ」を書いたブレット・イーストン・エリスの方が、よっぽど肝が座ってます。
…女に送られた小説のパートは良く出来ていたと思います。
家族を理不尽にも殺害された男の追跡と復讐劇。
一緒になって力を貸してくれるテキサスの警察官がカッコいいんですよ。
「シェイプ・オブ・ウォーター」のマッチョイズム全開のゴリゴリ保守軍人を演じたマイケル・シャノンが、ここではテンガロンハットを浅く被り、末期の肺癌を患い死を目前としながら血反吐を吐きつつ、犯人を追い詰める様は西部劇のヒーローそのもので、むちゃくちゃかっこいいんですね。
この小説のパートだけをじっくり作り込んで一本の映画にした方が良かったんじゃないかな。