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パージ:大統領令の小のレビュー・感想・評価

パージ:大統領令(2016年製作の映画)
3.9
未来のアメリカ、1年に1晩、12時間だけ殺人を含む全ての犯罪が合法化される法律「パージ」という設定を置いたスリラーのシリーズ3作目。前2作は2015年の夏に連続公開された。その人気がイマイチだったのか、本作は今のところ、全国でわずか5つの劇場公開。東京ではTOHOシネマズ日劇だけで、しかも1日夜の1回のみ。

日本国内で冷たい扱いを受けるのは、ストーリーがもうひとつパッとしないということもあるかもしれないけれど、やはり人を殺して喜んでいるというか、狂っているような人を見ても全くスッキリせず、楽しくないからかもしれない(映画を観始めたころは結構、ストレス解消していた気もしますが…)。

しかし自分的には、とても気になる映画。パージ自体がアメリカ社会のメタファーな気がして、考えさせられるから。

本作に先立つ前2作を観た後、ビデオでマイケル・ムーア監督の『シッコ』を観た。健康医療制度のドキュメンタリーで、弱者を切り捨て強者を優遇するように思えるその制度はパージそのものじゃないのか、と思った。

国は違うけれど、ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』だって、テーマはパージそのものでしょ。相手は直接殺しに襲ってこないけれど、もっといやらしい方法、真綿でじわじわ首を絞めるようなやり方で、弱者を切り捨てる。

本作では「パージで儲かるのはライフル協会と保険会社だけ」と台詞ではっきり言っているほか、パージの2日前に保険料が上がるなど、もうメタファーとも言えなくなっているかもしれない。

ということで、社会派映画としての『パージ』について、少し考えてみる。

どんな国でも国民は必ず体制派と反体制派にわかれる。要するにトータルでみて現状のままでよいと思うか、このままではダメだと思うか。安定した社会では反体制派は少数にとどまるだろう。一方、反体制派が多くなるようだと、やがて革命が起きるだろう。

だから、体制派の権力層はできるだけ反体制派の数を少なくすることが目的となる。その目的を達成するためには、大きく次の2つの方法論がある。

①社会民主主義…福祉政策…共存共栄…富の分配…中間層拡大…多数の国民の不満解消

②新自由主義…自由競争…弱肉強食…富の集中…階層二極化…「自己責任」という価値観に基づく多数の国民の不満抑圧

今の世の中は②の方向性ではないかと。某国の大臣も「自己責任」とか言ってましたね、そういえば。

ただ最近では、国民の不満を抑圧しきれなくなってきて、原因を新自由主義に基づく階層二極化から移民にすり替え、不満をそらすというのがトレンドのよう。映画ではそのことに対する皮肉なのか、メキシコからの移民が活躍する。

考えてみると、アメリカは大統領がトランプだろうが、クリントンだろうが、あまり変わらないのかもしれない。クリントンはトランプほどあからさまかつ下品なすり替えをしないというだけで、基本的に②であることには変わらない。

トランプのおかけで良さげに見えてきたオバマだって、『インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実』を観ればわかるけれど、「チェンジ、チェンジ」と言いながら結局はお金持ちに取り込まれ、リーマンショック後も何も「チェンジ」できなかったみたいだし。それにヒラリーもお金持ち側でしょ。

パージは②の超過激バージョン。その狙いは、体制派の人のガス抜きをして将来の反体制派の芽を摘んでおくことと、反体制派そのものの存在を消してしまうことにより、権力の安定化を図るというもの。

本作は、パージにより家族が目の前で殺害されことがきっかけで、パージに異を唱えて台頭してきた女性議員(確か無所属だったと思うけど、アメリカで①を主張する政党がないということですかね)のローンが大統領選に出馬を決め、パージされそうになるというお話。

①的な主張をするローンはアメリカ社会の願望なのかもしれない。しかし、仮に彼女のような人が登場したとして、アメリカ社会はそのような人を選択するのだろうか。

『シッコ』でムーア監督がインタビューした英国の元議員が次のように話していた。「選択する自由があるといっても、借金苦に選択の自由はない。(貧困層は)希望を失い、投票しないのだ」。

彼によれば、権力層が国民を支配する方法は「恐怖を与え、希望を奪い、士気を挫くこと」で、厄介なことにならないようにするため、国民に「教育と健康と自信を与えたくない」とのこと。

これまで映画鑑賞経験からすると、アメリカは、貧しい人には教育と健康を与えないようにしているのではないかという気がする。自信については、個々の能力とかではなく、アメリカ人であること自体、即ち、権力層への不満がなくなることに寄与する自信に限って与えようとしているように思う。

とすれば、映画のように選択肢が与えられたとしても、その選択肢を切実に必要とする人達が投票するのだろうか、と疑問に思うけれど『パージ』が言わんとするところは「そんなお前らこそが殺されそうになっているんだぞ、奮い立て」ってことなのかもしれない。もっとも、そういう人達が映画を観る余力があるのか、良くわかりませんが…。

『パージ』の第4弾が、もしあるとしたら楽しみな半面、社会が変化して『パージ』のような映画を制作する意味が小さくなっている方が良いのかもしれない、と思ったりもしている。
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