まぬままおま

パリ、恋人たちの影のまぬままおまのレビュー・感想・評価

パリ、恋人たちの影(2015年製作の映画)
3.9
フィリップ・ガレル監督作品。

“浮気は男だけのもの”
“女の浮気は深刻で有害だ”
「彼はその考えが過ちで身勝手とも感じたが、頭から離れることはなかった」

仰る通りで、男の深刻で有害な考えが影のように彼につきまとう物語。

男の浮気論は一蹴しつつ、そもそも浮気はどのように成立するのだろうか。

本作で興味深いのは、夫と妻の浮気の発覚の仕方が別様であることだ。
妻の浮気は夫の浮気相手に現場を目撃され、彼に告げられることで発覚する。しかし夫の浮気は、妻には一切目撃されてはいない。彼女の予感だけが彼の浮気を確信するだけである。
ここで、この「予感」が浮気を成立させる上で、重要な概念だと思うのである。

彼は私を確かに愛してくれている。だが彼の愛が私の心を完全に満たすわけではない。物足りない何か。ひょっとしたら彼には別に愛する誰かがいるのかもしれない。不安がよぎる。彼は浮気をしている、いやそうに違いない。

このように浮気は成立するように思うのである。私たちは妻の浮気が発覚されるように浮気を捉えている。しかし成立条件には、浮気相手が実在することも浮気現場の目撃も必要ない。愛の満ち足りなさとその不安、そして浮気相手がいることを予感するだけで十分なのである。

それは影に似ている。影とは実態がなく、人物に光が当てられ浮かび上がってくるものである。
浮気にも実態はない。恋人に予感という光を当てることでのみ立ち現れてくるのである。
それは実態としては捉えられない不気味な何かなのかもしれない。だが恋人と共に在ろうとする時、否が応でもつきまとってしまうものなのだ。

彼らは浮気という出来事によって破綻を迎える。しかし彼は人生の欠如を、彼女は寂しさを満たすためにお互いを取り戻す。
それはハッピーエンドのようだ。だが彼らが影と共に在ろうとしない限り、再び破綻を迎えるだろう。

私はそう予感するのである。

蛇足
このような浮気の諸相を光と陰影のみのモノクロで描くことに本作の映像表現の巧みさが窺える。
ただヌーヴェル・ヴァーグ作品と比べて人間性の重層さがなく物足りなさを感じてしまう。