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ストーンウォールのADULTVIDEOMANのレビュー・感想・評価

ストーンウォール(2015年製作の映画)
3.9
僕にとってストーンウォールという名前は、何よりもゲイ文化としてのハウスミュージックとの関連で記憶されている。ラリー・レヴァンのミックスCD「ライヴ・アット・パラダイス・ガラージ」のライナーノーツは、ストーンウォール暴動こそがゲイ文化を切り開いたという記述から始まっている。だから、この映画で描かれている事件がなければいま僕たちが当たり前のように親しんでいるダンスミュージックの形もありえなかったかもしれない。もちろんダンスカルチャーのみならず、セクシュアリティを問わない公共圏/親密圏というものの発現を切り開いた端緒となるのがこのストーンウォール暴動だということだ。

事件から50年近くが経って、ようやくそのことが映画表現という形で広く知られることとなった。逆に言えば、50年経たなければこのことは語ることができなかったということでもあるのだが、なんにせよこの題材が当たり前に、「ゲイ映画」という括りではなくごくごく「一般的な」映画としてこうして公開されたことをまずは喜びたい・・・ところなのだが。

しかし、しかしだ、残念なことに本作の映画としての完成度はさほど高いものではない。ゲイ・リベレーションの歩みがひとつの歴史劇として提示されるというよりは、ひとりの青年のゲイ・アイデンティティへの葛藤と受容がむしろ物語の主要な力点となり、単なるビルドゥングス・ロマンの域を出ることがないからなのだ。

中だるみというにふさわしい退屈を少なからず感じてしまったことは否定できない。なぜなら、ゲイ解放運動のはじまりという歴史的瞬間と、主人公の心情の変化や成長、もしくは彼(女)らをとりまく人間ドラマというものが、さして有機的な連関を映画の中で持ちえていないようにみえてしまうからなのだ。そうなれば、歴史的な転換点というべきその時代背景はそれこそ文字通り「背景」にすぎず、単なるゲイのラブストーリーがそこにあるだけになってしまい、そうすると1968年であることの意味も薄くなってしまう。なるほど暴動シーンの高揚感や、最終的に1970年のデモに結実してセクシュアル・マイノリティへのエールとエンパワメントを歌い上げるラストシーンはさすがに感動的ではあるのだが、しかし逆に言えばそこだけが「見せ場」になるだけであって、結果として「ゲイ解放運動の歴史的知識の伝達」という啓蒙的な役割しか果たさないのだとしたら、映画として残念であるというほかはない。

同じゲイ・リべレーションを扱った「パレードへようこそ」や、ゲイ映画ではないがケン・ローチの「ジミー、野を駆ける伝説」が、社会運動と人間ドラマとの有機的連関を見事に保ちながら映画的感動を与えてくれたこととの大きな違いがここにはある。イギリスとアメリカの違いなのかもしれないし要因はいろいろあるだろうけれど、「(葛藤しつつも)抵抗する主体」であることをどれだけ意識できているかということ、エメリッヒに欠けているのはたぶんそれである。主人公の政治意識はどうあれ、こうなってしまったからには彼(女)らは政治的存在であるしかないにもかかわらず、このどこまでも中途半端にしか「社会化されない」主人公(たち)の描き方、それがこの映画をひどくぼんやりとした印象しか与えてくれないものにしてしまっているのではないだろうか。上記二本のイギリス映画が、たとえパンクと名指されようと左翼と呼ばれようと一向に意に介さないような清々しさとともに、「ざまあみろ!世界は俺らのものだ」と叫び突き抜けているのに比べるとなんと腰が引けていることか。ストーンウォールだってそういう熱気に満ちていたはずなのに、LGBTということばがあたりまえになった2016年にあって、「あれはこんな感じでした~」とさらっと言うだけなの?それでいいの?と拍子抜け。恥ずかしげもなく「戦う映画」をぶちかますことはそれでもまだ必要だよ。「キャロル」だって「アデル」だってこの映画の100倍は戦っていたと思うもの。
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